持続可能な社会を目指した開発
東南アジアと聞いて何を思い浮かべるだろうか。東南アジア10ヵ国から成るASEAN(東南アジア諸国連合)の現加盟国はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシア、カンボジア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオスで構成される。東南アジアはここ十数年で観光地としての地位を確立し、訪れたことのある日本人も増加した。しかし、東南アジアの農村部に足を運んだことのある人はわずかだろう。
今回お話を伺ったティースマイヤ・リン教授は「東南アジアにおける農村開発」について長年研究されてきた。教授が理想とする開発とは、「レジリエント社会・持続可能な社会」を目指すものだ。レジリエント社会とは、緊急事態が生じてもそこから迅速に回復・復元できる社会を指す。そのためには、新しい技術を取り入れながらも、現地の伝統的な手法を活かすこと、つまり、新しい技術と伝統的な手法、現地市民がいずれも選択できることが重要だと言う。
東南アジアにおけるインターネットの普及についても、サーバを介するインターネットだけではサイバー攻撃や情報漏洩によるリスクが避けられないため、P2P(*1)やオフグリッド(*2)といった現地の需要に合った、狭い範囲ではあるがリスクの低いネットワークも選べるハイブリッドな仕組みを探っていきたいと教授は話す。
地理的に近く、貿易相手国として経済面での繋がりも強く、観光や留学などの交流面でも身近な存在となっている東南アジア。今回は、東南アジアの中でも特にメコン河上流域(タイ・ラオス・中国雲南省)の農村部を中心に研究されてきたティースマイヤ教授にお話を伺った。
*1 インターネットにおいて一般的に用いられるクライアント・サーバ型モデルでは、 データを保持し提供するサーバとそれに対してデータを要求・ アクセスするクライアントという2つの立場が固定される仕組みであるのに対し、 P2Pでは通信者同士が取引情報を共有し合い、信頼性を担保する。
*2 電力、ガス、水道、インターネットなど、生活に必要なライフラインを公共のインフラストラクチャーに依存せず、自給自足で確保できるよう設計された仕組み
上記は、東南アジアの社会経済に大きく影響を与えた4つの事業が位置する地域を示す。(*3)
①高速道路建設(中国の一帯一路)と高速電鉄 ②大規模ダム建設 ③石油と天然ガスを運ぶパイプライン④輸出志向型大農園及び工業団地
*3 ティースマイヤ教授が2017年に受賞された「東南アジア地域開発における社会経済的な影響に関する研究」より抜粋
東南アジアとの出会い
(聞き手:鈴木)
東南アジアの農村開発がご専門ですが、その中でも対象地域としてメコン河上流域を選ばれたのはなぜですか?
(ティースマイヤ教授)
メコン河下流域に関する研究論文や調査報告書は既に数多く存在する一方で、メコン河上流域に関するものは、そこが天然資源豊富な地域で、労働力となる人の移動も活発であるにも関わらず、JETROアジア経済研究所(*4)のもの以外では、調査や論文の数が少なかったためです。そこに研究の意義を見出し、メコン河上流域を中心に研究を進めることにしました。メコン河は貿易路としても灌漑設備としても使われており、東南アジア、ASEAN諸国、日本にとって経済的に重要な地域であったことも理由の一つです。
*4 アジア、中東、中南米、アフリカ等、開発途上国・地域の諸問題に関する研究を行なっている独立行政法人日本貿易振興機構の研究所
(鈴木)
そもそもどういった経緯で東南アジアを研究することになったのでしょうか?
(ティースマイヤ教授)
私は元々、日本とドイツの経済と政治の近代化について研究してきましたが、1995年に慶應のSFCで働き始めてから、タイを中心とした東南アジアについて研究したいという大学院生たちに出会いました。当時、東南アジアのことはよく知らなかったのですが、それまでの研究手法との類似点もあるだろうということで、要望にこたえる形でゼミの準備を行い、1996年の3月からは大学院生らと一緒に、初めて現地調査に出向きました。その頃から東南アジア、中でも農村部に関する調査を本格的に始め、現在に至っています。慶應の中に、こうした大学院プロジェクトや、自分の専門とは違ってもそれを拡大できる機会があったことは結果としてとても良かったです。
健康と環境に着目して
(鈴木)
当時、東南アジアと日本との関係はどのようなものでしたか?
(ティースマイヤ教授)
日本は東南アジア農村部から戦前から戦後にかけて大きな恩恵を受けてきました。日本は戦前、コメの収穫量が少なく、戦後から徐々に増えていったのですが、収穫量が足りない時期は、タイやベトナムからの輸入米を国内米に混ぜたものが日本人の食を支えていました。しかしその後、農薬がタイやベトナムで使われるようになり、日本人の食の安全性に懸念が出てきたことから、日本の行政府からその地域の環境に関する現地調査の要請を受けました。
調査をしてみてわかったのですが、タイ北部から東部に住む一部の農民の間では、農薬に関する知識があり、できるだけ農薬を使わない生産が行われていました。しかし他の地域では、何も知らない農民が大量の農薬を使って栽培を行っていました。農薬は人間の健康に良くないだけでなく、農地にも良くありません。農薬を使った土地は5年後、10年後には干からびて砂のようになり生産に適さないものになります。業者は、農薬の危険性を認識しながらも販売しており、農民は農薬のパッケージの裏面に書かれた文字を読むことができないため(タイ農村部は識字率が低い)、何の懸念もなく使用しています。
私はアジア開発を専門にしていますが、開発においては何を改善すべきかの項目として健康(公衆衛生)、経済、環境の3つがあります。近年になってそこに、情報へのアクセスのしやすさやデジタル化が加わりましたが、私は当初から健康と環境に着目してきました。500年程前、ヨーロッパからやってきた研究者は、タイの農民たちが元気に80~90歳まで生きているのを目のあたりにして非常に驚いたそうですが、それもそのはず、当時のヨーロッパの平均寿命は40歳台でした。当時、東南アジアに化学物質はまだありませんでした。
化学物質は西洋諸国がもたらしたものです。戦後から日本のガン発生率が上がったのは、私たちが口にする食べ物の中に、農薬を始めとする化学物質が入ってくるようになったことが一因と見られています。タイの農民みなが長生きというわけではありませんでしたが、驚くような長寿が何人もいたそうです。1996年、私たち研究チームが現地を訪れた際も、歳をとっても寝たきりにならず元気に生活している農民を何人も見ました。しかし、東南アジアでも近代化が進むにつれ、治りにくい病気や死に至る病気の発生率が上昇しました。がんなどの治りにくい病気の患者が目立つようになったのです。しかし問題はそれだけではありませんでした。
社会的決定要因を探る
(鈴木)
他にどのような問題があったのでしょうか?
(ティースマイヤ教授)
タイ北部とその隣地において、都市部より農村部でのHIV感染率が急増していることが、1995年以降にASEAN諸国の保健省が公開したデータから分かりました。メコン河上流域の農村部で、多くの若者と中年の人々がHIV感染で亡くなる危機的状況にあったのです。当時まだ新しかったSFCを見学するために、国内外の大企業取締役や国家公務員が数多く来る中、タイの厚生労働大臣を親に持つタイ人がSFCを来訪しました。その方が、私の専門を知り、「今タイ国内で起きているHIV感染増加による、貧困層への影響を改善するために、そこの農村共同体と家庭への訪問に一緒に参加していただけないか」と仰いました。
これをきっかけに、「公衆衛生問題に対する地域密着の手法」を自身の研究と担当授業に取り入れ、何度もタイの農村部を訪れました。そこでは社会経済兼社会生態系の専門家として、社会的決定要因を調べるために訪問調査を重ねました。農民の経済事情、栽培環境、特に雇用機会を中心に「どのような経緯でHIVリスクに曝されたか」について、住民、医療従事者、公務員、自治体に対して聞き取り調査を行い、それをもとに統計分析を行いました。その結果、それまでの医療科学面での調査だけではわからなかった、タイでのHIV感染が都市部よりも農村部で急速に広まった一つの社会経済的な要因が明らかになりました。
それは、農村部の感染者の共通点として、村から離れて他所で暫く滞在していた時期があったということでした。外部投資家が新たに開発したプランテーション(大農園)での農作業や、高速道路建設の労働の出稼ぎに行った先でHIVリスクに曝され、戻った村でも感染が広まっていたのです。この貧困の背景には近代開発に伴う、環境破壊がありました。1960年代から米国企業は農産物の生産量を増加させるために、農薬をインド、タイ、フィリピン、メキシコなどに流入させていました。それにより、農薬が土壌退化と灌漑設備の汚染を引き起こし、農家は生産が続けられない状況に陥っていたのです。
現地で教えるのではなく現地から学ぶ
(ティースマイヤ教授)
こうした社会的決定要因を明らかにできたおかげで、その後私は、これらの改善に関する議論と立案の場に、地域レベルでも政府レベルでも参加ができるようになりました。タイを例に挙げると、タイ東部の農村部は非常に貧しい地域ですが、それはこのあたりに山がなく一帯が乾燥地で、もともと農業に適した土地ではなかったからで、戦後の日本政府と同様、タイ政府が農薬の使用を推奨してきました。
また、中国南部の雲南省の農民たちも「農薬を使えば沢山収穫できる」とする国の政策を受けて、大量の農薬を使って栽培をしていました。その結果、土地は10年も経つと砂と化し、農業を続けられなくなっていました。この問題を改善すべく立ち上がったのがタイの国立大学(チェンマイ大学、チュラロンコン大学、コーンケン大学)と中国雲南省の名門大学の研究者兼実践者たちでした。彼らは公務員としても専門家としても国に対する貢献意欲が強く、農薬に頼らない農法の普及を始めました。
そこに私と日本の他大学の研究者とSFCの社会人大学院生たちも参加し、化学物質をなるべく使わない伝統農法を続けている農家も多くいたので、そこを訪れて経済事情や生態環境、改善策を学ばせてもらいました。伝統的な有機農業を続けようとする現地の自治体の意思決定が尊重されることで、栽培環境、家庭経済、地域経済が良くなり、それにより農民の健康状態が改善し、健康寿命の上昇につながることが明らかになりました。
私は大学時代、スイスの農家での夏季短期ホームステイで、伝統的な農業に触れた経験があります。スイスでは農薬が使用されないため、そこの農家で出されるものは全て無農薬で作られたものでした。その時の最初の朝食が今でも忘れられません。初めて「本物の食べ物を食べた」という驚きでした。こうした経験はのちにSFCで担当した「自給持続可能な開発」のアカデミックプロジェクトの基盤となりました。
過去の事例からの教訓を活かす
(鈴木)
東南アジアの開発の問題をどう捉えていらっしゃいますか?
(ティースマイヤ教授)
東南アジア農村部の貧困、農薬、健康、労働、あらゆる問題の発端には近代工業化が大きく関わっています。イギリスでの産業革命から始まり、そのおかげであらゆる恩恵を受けたのは確かですが、マイナスの影響もありました。新しい技術が入ってくる時には、新たな問題が生じてくることを忘れてはいけません。ヨーロッパや日本で過去に起きた事例が、東南アジアで起きている問題にどうあてはめられるかを考え、現地の政府や一般市民、研究者らと共に改善を図るということを続けてきました。
来年度はアジア諸国における、環境を要因とする公衆衛生の問題に焦点を当てて取り組むつもりです。タイやカンボジアでは20年前からマラリアが流行っていますが、近年さらに増加しています。マラリアは蚊を媒体にかかる病気ですが、蚊は森からやってきます。中国の一帯一路を始めとする道路建設により多くの木が伐採されています。住処を失った蚊は人の住むところに飛んでくるため感染するのです。デング熱も蚊を媒体としているので同じで、どちらも感染後放置しておくと死に至る率の高い病気です。こうした感染症と環境の因果関係を探るべく、来年度も現地調査をしながら研究を進めていくつもりです。
(聞き手/文章 鈴木薫)
ティースマイヤ・リン教授(Thiesmeyer, Lynn)Profile
慶應義塾大学環境情報学部名誉教授
専門分野:東南アジア開発、東南アジアにおける自給持続可能な農村開発
慶應義塾大学による「持続可能な開発に関する大学院プロジェクト」を通じて、タイ、ラオス、中国、カンボジアの政府機関、学術機関、民間企業、慈善団体が主催するプロジェクトに携わる。同大学の「デジタル・アジア・プロジェクト」では、国境を越える移民に関する最新データを分析するオンライン・ツールの開発に携わり、「環境イノベーター・プログラム」では、東南アジアの農村環境問題に取り組んだ。2005年には、国連女性地位向上部会専門家グループ会合で報告者を務め、女性差別撤廃条約を改定。世界銀行、国連大学、アジア各地の研究機関向けに、グローバル政策と開発に関する遠隔会議を企画し、司会を務める。1997年~タイのバンコク・チェンマイ・チェンライにある「セム医者孤児教育基金」(HIV陽性者がいる家庭のための地域包括ケアを支援する、子供の教育支援財団)のアドバイザーを務める。