Notes from Conversation with Professor David Farber: A Pioneer’s Perspective on the Internet’s Beginnings and Growth
デービッド・ファーバー教授との会話ノート インターネットの始まりと成長に関する先駆者の視点
実験として始まったインターネット
インターネットの初期は、文字通り「実験」でした。コンピュータを持っている人はほとんどいなかったし、将来的にその「実験」がどのような方向に進んでいくかなど、当時、明確なビジョンがあった訳ではなかったのです。例えば、DCS(Distributed Computing System/分散コンピューティングシステム)の実験は、信頼性が低く、計算能力も限られている小型コンピュータの利用を前提にしていました。社会全体にネットワークの活用を広げようなどの広範なビジョンがあって実験を進めたわけではありませんでした。つまり、このような初期のネットワークの実験は、単純にコンピュータサイエンティストとしての好奇心が原動力となって進められたのです。コンピュータ同士を接続したら何が起きるか、とにかく試してみようという姿勢でした。また、ネットワークは巨大なソフトウェアのようなものなので、ソフトウェアエンジニアとしての好奇心によって進められたとも言えるでしょう。 コンピュータ研究者の間から始まったCSNET(Computer Science Network)の登場とともに、研究者による「実験」が徐々に社会的な性格を帯びるようになりました。CSNETはコンピュータ研究者のためのネットワークであったので、コンピュータの研究者がネットワークの最初の実際の利用者(カスタマー)と言えます。このような研究者は、一般的にネットワークの利用に関して寛容な傾向があり、ネットワークを単なるツールとして捉えていて、ネットワークが動作しさえすれば満足していました。したがって、CSNET は、コンピュータ研究者が集まったコミュニティ全体で統治されたというよりも、実際には、少人数のアドバイザリーボードが効率的に運営を担っていました。また、NSF(米国国立科学財団)のディレクターとアドバイザリーボードも適切な方向に舵取りをしていたと思います。そして、この頃には、ある「ルール」と言えるものがありました。「もし破壊しようとすれば、ネットワークから追放される」という様なもので、これはインターネットの最初でかつシンプルなルールであったと思います。 私は、このように研究者としての純粋な動機からネットワーク研究を始めたのです。しかし、地域ネットワークが拡大し、コンピュータサイエンティスト以外のステークホルダーが誕生し始めたとき、ネットワークの社会への適応について考え始めるきっかけになりました。さらに、ボブ・カーンとともにギガビットネットワークの構想を提案した頃、ネットワークがもたらす未来の可能性を感じ始めました。このように、ネットワークは進化してきたのです。
地域ネットワークの役割
米国内で通信トラフィックを構築し始めた当初、各大学のコンピュータサイエンス学科はアメリカ全土の接続に十分な準備がありませんでした。アメリカの国土は非常に広大であり、国内の長距離電話料金は非常に高額でした。私達は、各大学が、地元の産業や政府の支援を受けて、まずはその地域で協力しあえる様な枠組みを支援しました。そして、それぞれの大学を地域間で接続することを奨励したのです。つまり、各地域にはそれぞれ異なる課題があるため、それらを地域ごとに解決していくというアプローチをとったのですが、これが結果として上手く機能しました。この時期、政府資金の使用制限を除けば、特に明確なルールと言えるものは存在しませんでした。
インターネットの商用化と共に生じた変化
インターネットの商用化は、本来あるべき形を想定しながら整然と進められたわけではなく、多方面に、ほぼ偶発的に起こりました。また、商用化が始まる頃に、多くの誤りがありました。今となっては、インターネットの商用化を、もっと上手く進めることができれば良かったと思います。米国政府や FCC(連邦通信委員会)などの政府機関は、本来ならインターネットにもっと関心を持つべきだったが、そうではありませんでした。彼らはインターネットを、単なる「おもちゃ」程度にしか見ていませんでした。電話業界も同様に、インターネットの可能性を十分に認識していなかったのです。 先程も申し上げた通り、黎明期のネットワークは研究者および学術機関に限定されていました。しかし、IBM研究所などのいくつかの企業が、大学向けのコンピュータ機器を供給する目的でネットワークに参加したいと申し出はじめたのです。そこで、私達は「もちろん、よいですよ、大学が支払う年会費の数倍を支払うならば」という返答をしました。こうして、明確に商業目的を持つ企業は、相当する接続コストを負担するということで経済的な合理性を実現しました。このようなやり方は、インターネットを国外に広げる際にもほぼ同様でした。日本や韓国にネットワークを接続するコストは、非常に高額なものでした。
ネットワークの拡大
また、他国との接続に際しては、1カ国につき1つの組織としか交渉しないというシンプルなルールを設けていました。例えば、韓国からは2人の代表者がそれぞれ「自分こそが韓国を代表している」と主張してきたのです。国内で代表が誰かを決められない場合は、私達のネットワークとは接続を認めませんでした。したがって、これはネットワークの国際化の初期のルールと言えるでしょう。 日本や韓国にネットワークが繋がった際も、基本的にはコンピュータ科学者同士のつながりだったため、CSNETの性質が大きく変わったとは思いませんでした。私達コンピュータ科学者は、国は違えど同じ背景を共有し、同じ箱から出てきた仲間のようなものだったのです。しかし、言語の壁は終わりの見えない問題でした。例えば、日本語と英語などの異なる言語の間で円滑にコミュニケーションを取るために、どのようにコードを構造化するかといった議論に非常に多くの時間が費やされました。そして、本質的にはインターネットは知識を素早く拡散できる性質を持つと人々が認識し始めるようになり、特にアメリカ国内では暗号化の観点から大きな問題になり始めました。
なぜインターネットは普及したのか
先程から申し上げている通り、初期のネットワークは、アカデミックな研究者のためのものでした。研究者たちはPDP-11 のようなメインフレームを使っていました。それらは、一般の人々には縁遠い代物だったのです。したがって、この観点からネットワークの成長は、自然と制限されていたと言えます。しかし、IBM がパーソナルコンピュータ(PC)を発表し、初めて本物のコンピュータが登場したのです。このIBM PCの登場は本当に良い仕事をしました。良いPCが生まれた、そうすると次の問題はネットワークということになります。PDP-11でネットワークに接続するためにMITで書かれたコードがIBM PCに引き継がれると、たちまち皆がそのコピーをするようになり急速に普及しました。そしてまた、その周辺のマーケットが急速に開拓されたのです。 IETFによる意思決定プロセスのメカニズムも非常に優れていたと言えます。ラフコンセンサスに基づき効率的な意思決定を促すことで、素早い対応が可能になったのです。これは必ずしもインターネットの法律とまでは考えられないとは思いますが、現実的にかなり効果があったのです。一方で、ISO は美しい標準を作りましたが、その結果として、実際には動くものができたわけではありませんでした。 Webが「ゲームチェンジャー」であったかどうかについては、「ゲームエンハンサー」としての側面が強いと考えられます。 基本的に、すべてのコンピュータがインターネットを通じて接続されると考えると、私たちはその姿をレイヤー構造として捉え直すことができます。具体的には、ハードウェア層、ネットワーク層、アプリケーション層の3つです。したがって、現在のAIのような技術的進歩の多くは、アプリケーション層の課題として認識されています。しかし、セキュリティを考慮する際には、ハードウェア層から一貫してレイヤー構造を立体的に再考しなければなりません。
セキュリティはなぜ難しかったのか、そしてこれからの重要性と課題
インターネットの初期における最大の誤りの一つは、私達はほとんどセキュリティに注意を払っていなかったことです。初期のネットワークコミュニティでは、参加者同士がお互いを知っており、誰もネットワークを破壊しようとはしなかったため、セキュリティという発想そのものが出て来なかったのです。だから、私達はセキュリティを気にしていませんでした。NSFネットは、基本的に最低限のセキュリティメカニズムしか持っていませんでした。 しかし、私がデラウェア大学での最初のメールシステムを運用したとき、スタッフに対して独自のルールを定めました。それは「他人のメールを見たらクビにする」というものです。なぜならば、当時は暗号化技術がなかった、そもそもコンピュータの処理速度が非常に遅かったのです。 1970年代の視点から今を思うと、今日のネットワークは非常に効果的であると言うことができるでしょう。特に、COVID-19パンデミックに間に合った形でインターネットが実用化されたという点は大きな成果でしょう。例えば、Zoom(かつてのSee You See Me)のような低遅延のプラットフォームは非常に有用だったのです。 私は、大規模なプロジェクトをいくつか手掛けてきました。もし、私がもっと若かったら、ネットワークの設計をセキュリティの観点から見直すことに注力したいと考えるでしょう。 まず、先程のレイヤーの話に戻ると、ハードウェア層にはバグが多いですが、現在では安全なマシンの設計方法が分かっています。次に、ソフトウェア層に関しては、OSとどのように関連して動作しているのかを完全に理解している人は誰もいません。ソフトウェアはあまりにも複雑化し、巨大になり過ぎました。かつて私がOSを構築していた頃は、その動作を詳細に説明することができましたが、今では潜在的に多くのセキュリティホールが存在することになります。 これまで、より深刻なセキュリティに関する問題が発生していないのは、ほぼ奇跡的なことなのです。結局のところ、私たちがコンピュータに依存するようになればなるほど、ますます脆弱性が高まり、それは非常に深刻な問題となりえるのです。
Notes from Conversation with Professor David Farber/ デービッド・ファーバー教授との会話ノート 著者: 佐野 仁美 場所: 六本木ヒルズクラブ、東京、日本 会合日時: 2025年2月4日