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【CCRCインタビュー】 千葉工業大学学長  伊藤穰一先生  「普通をずらして生きる」

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「多様性」を考える

 

「多様性」という言葉が世の中で飛び交うようになってから久しい。SDGsの文脈から、選挙公約、はたまた友人との会話でも「多様性」のワードが違和感なく登場する昨今、この3文字が示すものを真に理解している人はいるのだろうか。あなたが考える「多様性」ととなりの人間が考える「多様性」は大きく異なっているかもしれないことに、人は気付いているだろうか。世の中に散乱している「多様性」の多くは、ただそう付け加えておけば良いイメージが醸し出されるという理由だけで存在しているようにも感じる。

 

性別における多様性、年齢における多様性、見た目における多様性、人種における多様性。

何における多様性を指しているかにより、示されるものは大きく異なる。そこに新たに、脳神経における多様性を示す「ニューロダイバーシティ」という概念があることを、ご存じだろうか。ニューロダイバーシティとは、世の中で「標準的な人」とみなされる人と、「標準的ではない」とみなされる人がいることを、「脳神経の働きがもたらす多様性の一つの表れ」と捉える考え方だ。そこには、「一人ひとりに固有の脳神経の働きの違いを認めよう」というメッセージが込められている。この考えは、現在の医療制度では発達障害や自閉症と診断された人たちに対する社会の見方を大きく変える可能性を秘めている。

 

私はこのニューロダイバーシティの考えを、伊藤穰一先生がパーソナリティーを務めるPodcast番組から知った。マサチューセッツ工科大学メディアラボの元所長で、現在は千葉工業大学の学長でいらっしゃる伊藤先生のご活躍は多岐にわたっている。メインのご専門は「社会とテクノロジー」だが、その網羅範囲は幅広く、あらゆる事象に目を向ける伊藤先生の見解に注目している人は多くいる。
その番組で昨年末、「ニューロダイバーシティ」についての紹介がなされた。web3やDAO、NFTといった新たなテクノロジーがテーマで語られることが多かった中、伊藤先生の口から突如出てきた「ニューロダイバーシティ」の言葉に、興味を抱かずにはいられなかった。そして今年4月に「普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門」と題する著書が出たことをきっかけにインタビューをお願いした。

 

「だれもが多様である」と伊藤先生は言う。普段から「自分は普通」と思っている人でも、「自分は他者と違っている」と感じるタイミングはあるはずだ。それが「脳神経の多様性からくるもの」と捉えられれば、自分に対しても他者に対しても寛容になれるのではないだろうか。今回はニューロダイバーシティの考えに早くから注目し、その過程を見てきた伊藤穰一先生にお話を伺った。

 

 

 

 

ニューロダイバーシティとの出会い

 

聞き手:鈴木
ニューロダイバーシティの考え方にはどういった経緯で出会われたのでしょうか。

 

伊藤先生
アメリカのMITメディアラボ[i]にいた時期に出会いました。当時からMITには自閉症の学生が多く在籍しており、また、自閉症に関する研究もいくつか行われていて、その中にニューロダイバーシティに詳しい学生が何人かいました。当時私は、研究所としての、自閉症の人に対する姿勢をどうすべきか考えていました。そんな中、彼らとディスカッションする機会があり、そこでニューロダイバーシティというムーブメントがあることを知りました。

その後、ニューロダイバーシティについて紹介する記事を書いたところ[ii]、反響がありました。多くの方が私の考えに賛同してくれたのですが、ある一人の自閉症当事者から、当事者ではない私がこうした記事を書いたことについて批判を受けました。当事者ではない人間が自閉症について考えを述べることについては、様々な考え方があります。「教育に携わっている人や当事者の親であれば意見を述べてもいいだろう」と考える人もいれば、「当事者こそが意見を述べるべきであって、当事者でない人が語るべきではない」と考える人も少なからずいます。

私は、以前から自分には自閉症の要素があると感じていたので、後者の批判を受けたことをきっかけに自閉症かどうかの診断をしてもらいに専門のクリニックへ行きました。すると医師からは、「子どもだったらADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されるかもしれないが、すでに大人になっており社会に適応できているので発達障害とは言えない、ただその要素はあるので、ADHDのグレーゾーンだろう」と言われました。

 

鈴木
その後、先生のお子さんは自閉症の診断を受けたと伺いました。

 

伊藤先生
記事を出した数年後、私の子どもはアメリカで自閉症と診断されたのですが、診断前からなんとなく予想はしていたのであまり驚きませんでした。
実はそれ以前に、遺伝子工学の専門家であるジョージ・チャーチ[iii]との会話の中で、「自閉症の親からは自閉症の子どもが生まれる確率が高い。自閉症の子どもを育てることは難しく、経済面や精神面での負担も大きい。けれども自閉症の子どもは社会にとって重要なので、育てられる親、Joi(伊藤先生の愛称)、のところにも自閉症の子が生まれるといいよね」とジョークで言われていたので、(娘の)診断を受けた時は「それが科学の世界に対する私の使命そして役割なんだな」と思ったのを覚えています。

 

鈴木
そうだったんですね。日本では、自分の子どもが発達障害と診断された場合、親は強いショックを受けることが想像されます。

 

伊藤先生
日本では発達障害に関する情報が少なく、診断を受けた親はそれを隠す傾向にあります。子どもの約3%は自閉症であるというデータがあります[iv]が、隠す親が多いので、「ごく稀」と思われているように感じます。
自閉症の子どもたちをサポートする環境が整っていないことも指摘できます。そのため、自閉症と診断された子どもの明るい未来を想像するのが難しい。アメリカだと、イーロン・マスクがアスペルガー症候群と公表しました[v]し、MITの人間も半分以上は自閉症だろうと言われており、天才と言われる人たちは自閉症だ、といった開き直った感があり、それでも明るい未来はあるよね、という考えが多くの親の間で共有されています。
ただ、ほとんどの天才は自閉症ですが、ほとんどの自閉症は天才ではありません。ここは忘れてはいけない部分で、自閉症の子どもを育てることが大変なのは事実です。

また、アメリカの教育制度には「個別教育プログラム(IEP)」[vi]というものがあり、障害のある子ども一人一人に合った教育を提供しなければならないという法律があります。それはインクルーシブ教育に近いもので、日本のように、下のランクに下げるということはせず、その子に合ったプログラムを考えて提供します。私の子どもは、自閉症の診断を受けた後、ケンブリッジの学校への入学を検討した際、本人に合った教育プログラムの作成のために5人ほどの先生から個別インタビューを受けました。その時、アメリカの個別教育の手厚さを強く実感しましたが、日本ではそのような仕組みはありません。

 

 

 

鈴木
お子さんが自閉症と診断されたことで、ニューロダイバーシティの考えを次は当事者家族として推す立場になられたということですね。

 

伊藤先生
私がニューロダイバーシティを掲げる根拠はいくつかあります。一つに、人間はみな機会を与えられるべきであり、障害者という括りで健常者と分離させるのは公正さに欠けると思うからです。また、日本からのノーベル賞受賞者は29人である中、MITからのノーベル賞受賞者は98人いて、MITの教授によればその多くが発達障害だったと言われていることを考えると、自閉症の人をサポートする環境が整っていない日本は社会的損失をしていると指摘できます。

もう一つの根拠が、多様な人たちが世の中にいるほうが生きるのは楽しく、社会全体が元気になるからです。「標準化された普通の人間が一番」という日本的な美学は今の時代、古いのではないかと思います。

 

 

 

褒めるより内在的な動機を促す

 

鈴木
一般的な発達とは異なるとされる子どもが、自閉症や発達障害という名でカテゴライズされることをどう考えていらっしゃいますか?

 

伊藤先生
自閉症や発達障害という言葉は実態とそぐわないのではないかと感じています。英語圏において自閉症や発達障害は、自己を意味する「autos」を語源とする「オーティズム」と呼ばれていますが、そこには「自己」や「自律」のニュアンスはあっても「閉」の響きはありません。

 

鈴木
日本と米国では呼び方から伝わってくる印象がだいぶ異なりますね。
ところで、発達に遅れがあるとされた子どもは、療育[vii]を受けさせることを医師から勧められますが、先生はアメリカで「DIR/Floortime®」という療育法に出会われたそうですね。

 

伊藤先生
一般的に普及している療育はABA療育[viii]と呼ばれるもので、私の娘も当初はこれを受けていたのですが、その様子を見ていた私は「ちょっと違うのではないか」という疑問が拭えませんでした。そんな中、マサチューセッツにある「ニューロセンター」という自閉症専門のクリニックの先生が、このDIR/Floortimeを紹介し、勧めてくれました。そこで家族でニュージャージーにあるこの療育を行う施設に5日間ぐらい通ったところ、娘の反応が予想以上に良かったので、以降続けています。日本への帰国後はDIR/Floortimeの先生をアメリカから呼び寄せ、今も続けています。その流れで、日本でもこの手法を実践する学校をつくろうという話になりました。

 

鈴木
以前、私の親族も自閉症スペクトラムと診断されたことがあるのですが、その後ABA療育を紹介され定期的に通っていました。アメリカでもABA療育は一般的なんですね。

 

伊藤先生
アメリカでもABA療育は療育の主流を担っており、これを実践する学校に投資している人も大勢いるくらいです。ABA療育では子どもの行動を中心にして分析して進めるので、前回の時よりどれだけできるようになったかが可視化しやすく、その効果を親に説明しやすいという利点もあり、急速に普及しました。ただ近年は、DIR/Floortimeの方が学会での研究発表の数も増えており、成果が伸びていると感じています。ABA療育からDIR/Floortimeへシフトチェンジする兆しは見えてきていますが、セラピスト(療育者)の数としては前者の方がまだまだ多いです。

 

鈴木
ABA療育を受けている様子は私も見たことがあるのですが、つみきやカードなどを使った様々な課題をクリアさせ、ひとつクリアできる度に大人が褒めるというやり方で、前回との比較がしやすいと感じました。DIR/Floortimeでは毎回の評価はしないのでしょうか。

 

伊藤先生
評価はしますが、評価項目が異なります。DIR/Floortimeでは「機能的情緒発達能力」(Functional Emotional Developmental Capacities)を評価項目として子どもを見ます。その中には、「他者と繋っているか」「コミュニケーションの輪ができているか」「抽象的な概念が理解できているか」など、いくつかの能力(Capacity)に関する小項目があり、その子の脳の中の神経発達がどうなっているかをセラピストが評価します。ただ、専門のトレーニングを受けたセラピストでないと、何も知らない人が見ても理解できないため、親にとってはABA療育の方が、発達の伸び具合が分かりやすいでしょう。しかし、DIR/Floortimeでもセラピストが見れば、「この子は今、Capacity2はできているがCapacity4はもっと頑張る必要があるな」といったように評価ができます。行動の成長度を重視するABA療育に対し、DIR/Floortimeでは脳神経の発達度を重視します。

また、DIR/Floortimeでは、「その子が学びたい気持ちになっているか」が重視されますが、ABAでは学びたい理由はさして重要ではなく、それよりも「どれだけ課題をクリアできたか」が重視されます。つまり「アルファベットをいくつ覚えたか」よりも「アルファベットを覚えたいと思えるような人間関係や意欲を持てているか」がDIR/Floortimeでは重視されます。

 

 

 

鈴木
ABA療育では、褒めることが重要とされており、課題がクリアできるごとに毎回褒めることが推奨されています。DIR/Floortimeではいかがでしょうか。

 

伊藤先生
DIR/Floortimeでは褒めることは推奨されていません。その子の内在的な動機を重視しているからです。目線を合わせることは自閉症の子どもを不安にさせることが多いのですが、ABAでは「Looking me! Looking me! Nice looking! Have a cookie!」と、ご褒美をえさに目線を合わせることを覚えさせようとします。

一方、DIR/Floortimeでは目線を無理に合わせるようなことはしません。褒められるためではなく、気持ちが安定した状態で出てくる内在的な動機による行動を重視するからです。本来であれば様々な動機があって、そこから行動に繋がるはずなのに、全ての行動が「褒められるため」という一つの動機に集約されることにはリスクがあります。自閉症の47%は自殺未遂をしたことがあるというデータがありますが、それは自然に出てくる意欲が実際の行動に繋がらず、心がロボットのようになり苦しむことが、この数字に表れていると思います。

子どもの内在的動機を尊重することは、その子が自閉症でなくても大切なことでしょう。褒められたいがためにひらすら勉強し、その動機のまま成長した人間がその後の人生でも真に頑張れるでしょうか。本当はやりたくないのに褒められるためにやっている人や、そのために本来持っているはずの創造力が殺されている人は苦しいと思います。

 

鈴木
大人になると褒められる機会も減りますので、「褒められるから頑張る」という動機だけでいくと、どこかで壁にぶち当たると思います。
子どもに対する親の姿勢が問われるということでしょうか。

 

伊藤先生
はい、私も親としての、子どもへの接し方のトレーニングを受けました。コロナ禍の時期、療育のセラピストは子どもと会えない状況が続きました。そこでセラピストらが、ビデオ通話での親へのトレーニングを始めたところ、子どもに与えた影響は予想以上に大きかったそうです。それもそのはずで、セラピストから受ける1日1時間の療育よりも、始終一緒にいる親が同じことをできたほうが、効果が大きいのは当然でした。

自閉症の子はパニックを起こしやすいのですが、子どもがパニックを起こした時、親がそれに対し苛立ったり怒ったりすると、子どものパニックはより増大します。反対に、親が深呼吸をして落ち着くと、子どもも徐々に落ち着いてきます。にもかかわらず、多くの親は、パニックを起こしている子どもに対し、怒鳴りがちです。親は子どもがパニックを起こした時にどう対応すべきかのトレーニングを受ける必要があるということです。

子どもを落ち着かせる方法は、DIR/Floortimeのプログラムでは最初のステップで学びます。それが出来たら次は遊びを通じて子どもとのコミュニケーションをとります。なにかを子どもに学ばせる、教えるといった姿勢ではなく、純粋に遊ばないといけません。しかも結構長い時間遊んであげないといけないので、かなりのエネルギーが求められます。子どもと遊ぶことをしない親も多いのですが、遊びを通して子どもとの信頼関係は築かれます。ただ、そこで「これをやったらいいものをあげるよ」といった大人の思惑を入れ込むと、純粋な遊びではなくなってしまいます。子どもは「どんな遊びも裏に別の目的がある」と気づき、それ以上の信頼関係が築かれません。目の前の親が純粋に楽しく遊んでくれているのか、それとも何か目的を持って遊んでくれているのか、子どもは次第にわかってきます。「何を教え込ませるか」ではなく、「子どもといかに信頼関係を作るか」が親の課題です。

信頼できる人がいるかいないかで、子どもの安心感は大きく変わります。安心した状態でないと、学ぶ意欲や誰かとコミュニケーションを取りたいという気持ちは、自然には生まれてこないと思います。自閉症の子は外的刺激に敏感で不安になりやすいので、信頼できる人間の存在には特に気を配ってあげないといけません。ハーバード大学で行われた長生きに関するある研究で明らかになったのが、長生きに繋がる一番の要素は「信頼し合っている人と一緒に住んでいるかどうか」ということでした。自閉症の子は、他者とのコミュニケーションにおいて必要とされるスキルをもともと持っていない要素があるので、一緒に居て安心できる人や信頼できる人がそばにいることが重要です。ただ、これは自閉症でなくてもどんな子どもにも言えることだと思います。

 

 

 

弱みより強みにフォーカスを

 

鈴木
今秋開校予定の「ニューロダイバーシティの学校」は、「誰もが多様である」ことを前提に、DIR/Floortimeの手法を取り入れながら、子どもたちが学び合う場所ですよね。そこには、日本の教育のあり方に一石を投じたいというお考えもあるのでしょうか。

 

伊藤先生
国連のレポートにも書かれているのですが、日本は先進国の中でも障害者と健常者を分ける教育(分離教育)が今なお続いている国として国際的にも指摘されています。そのような環境下では「普通の人しか世の中にいない」と錯覚して育ちがちです。それが無意識の差別に繋がっているのではないかと思うところがあります。

多くの学校は子どもの多様性を認めず、「標準的とする子ども」に近い行動をさせようとしたり、「標準的ではないとする子ども」を排除しようとしたりします。それに対して私たちは、「すべての子どもは多様である」という考えのもと、子どもたちの可能性を伸ばすことを目指します。

みんなどこか違っていて、普通の人なんていないはずなのに、社会は限りなく標準化された普通の人間にしようという方向に働いていて、そのことに懸念を抱いています。秋に開講するニューロダイバーシティの学校は実験的な試みとして始まりますが、そこで得られた学びを最終的には一般教育にも反映できたらいいなと思っています。

 

 

鈴木
すでに子どもの募集は始まっているのでしょうか。

 

伊藤
はい、今は入学希望のご家族との面談を進めている最中ですが、親への面談が半分以上を占めます。というのもこの学校に入学したら、親も子どもの成長を支えるコミュニティの一員として、そのサポートに大きく関わってもらう必要があるからです。そのため、その子がこの学校に合っているかどうかだけでなく、私たちのフィロソフィーと親の考えが合っているかどうかも重要なので、その点も確認しながら面談を進めています。

また、自閉症の子どもの中には天才レベルの子もいれば、読み書きもできない子もいて、その多様性の幅が広すぎるのですが、学校である以上、場所や先生のリソースが限られているので、少人数とはいえどもあまりに多様にしてしまうと、対応しきれない可能性が出てきます。どこまで多様にして子どもを受け入れるか、その調整に苦労しているところです。例えば、ギフテッドなレベルの数学力を持っている子がいたとして、その能力をサポートするためには高等レベルの数学の先生を入れる必要があります。また、音楽に才能がありそうな子がいたらそちらの方面でのプロの先生を入れる必要があります。このように多様になればなるほどサポート体制が大変になってきます。

一般教育では、その子どもの弱みの部分にフォーカスして、そこを平均並みにすることを目指すため、強みを伸ばすための時間やエネルギーを、弱みの部分を上げるために使うという「Deficit based learning」の考えがベースにあり、それは標準化された試験をみんなが受ける今の教育制度に表れています。一方の「Asset based learning」は、その子の強みや好きな事をどんどん伸ばしてあげ、弱みの部分は他の手段でサポートしていくという考えです。できるだけ全てのスキルの底上げはしてあげたいけれども、好きでもない国語を習得するためにエネルギーの9割を費やさせたくはありません。ニューロダイバーシティの学校ではAsset based learningでやりたいので、そのためには子どもたちのやりたいことをサポートできる先生たちを見つけてこないといけないと思っています。

 

鈴木
まずは3歳から12歳までの子どもを受け入れるとのことですが、その子どもたちが大きくなった時に日本の大学入試制度に耐えられるかがやや心配です。

 

伊藤先生
今の日本の入試制度を内から変えるのか、外から変えるのか、アプローチはいろいろあると思いますが、メディアラボでは完全自宅学習でやってきた学生たちも、修士課程や博士課程にどんどん入って来ていたので、一般教育とは異なった学び方を受け入れる大学が出てくれば、道は開かれると思います。ただ、そのような学びを経た学生を雇ってくれる就職先が生まれないと、標準化された試験はいつまでたってもなくならないでしょう。スタンフォード大学も一時期、SATを廃止したのですが、今年また再開しました。これはアメリカの政治的背景があるので何とも言えないのですが。

 

 

 

新たな価値の創出

 

鈴木
先生は新しいテクノロジーには、障害者の人たちの能力を伸ばし、より生きやすくする可能性があると仰っていました。

伊藤先生
今までのテクノロジーは、「普通ではない」とされた人が、「普通」とされた人に合わせるためのものが多かったのですが、それは自分のやりたい環境でやりたいことをするためのテクノロジーとはやや違っていました。コロナ禍をきっかけに、オンラインミーティングが深く浸透したことで、家から出られない人でも参加しやすい環境整備があらゆる分野で進みました。より多様な環境を作り出すテクノロジーこそが求められています。さらに、価値の出し方もAIの発展によって変わっていくでしょう。

 

 

鈴木
「価値の出し方」とはどういうことでしょうか。

 

伊藤先生
AIにとっては、まだ世に出ていない情報こそが、学習材料として価値あるものです。みんなが言うこととは異なる、新しい考えがあってこそ、AIの情報量は増え、精度は向上します。また、デジタル技術の発展により、多様なインプットとアウトプットのやり方が可能になったので、今後はより多様な人たちが活躍できる可能性があります。

例えばe-sports[ix]はその一つでしょう。昔は「ゲームなんかやっている奴は生産性ゼロ」と見られていたと思いますが、今ではスポーツの一つとして高い人気を得ており、スポーツ産業としてもビジネス的に成功しています。

テクノロジーの発展により新しいツールができたのに価値観は以前のままということがよくありますが、そうではなく、ニューロダイバージェント(ニューロダイバーシティの文脈では脳神経の発達が要因で人とのコミュニケーションにおいて支障をきたしている人たちを「ニューロダイバージェント」と呼ぶ)の人たちが持っている、多くの人とは異なる価値観が見直され、これまでの価値観を変えるきっかけになることを期待しています。

 

鈴木
その第一歩を学校からスタートさせるということですね。
新しい価値観の中で育った人間が成長し、社会に出て世の中の価値観を変えていく可能性に大きな期待を感じます。

 

伊藤先生
秋に開講するニューロダイバーシティの学校は、最初は15名弱の少人数でスタートする予定です。様々な特性を持った子どもを見るには少人数が望ましいのは確かです。何人もの大人が少人数の子どもを見てあげるというのはとても贅沢なことであることは理解しており、その意味でもこの取り組みはひとつの実験です。この学校で数年かけて出来上がったメソッドを、世の中に広めていくためにはどうしたらいいかということは今後考えなければなりません。そのひとつとして、子どもに関わる大人のコミュニティを広げ、先生や親以外で子どもを見てくれる人、地域の人も巻き込んでサポーターを増やしていくことも検討しています。

 

鈴木
「誰もが多様である」ことを前提に、子どもたちが学び合う環境を作るために、ニューロダイバーシティの考えを知って共感した人たちが、子どもたちの成長を見守るサポーターとして増えていくことを期待したいです。本日はありがとうございました。

 

(聞き手・文章 鈴木薫)

 

[i] 米国マサチューセッツ工科大学 (MIT) 内に設置された研究所。主に、表現とコミュニケーションに利用されるデジタル技術の教育、研究を専門としている。

[ii] 「ニューロダイヴァーシティ」を受け入れるために、あるべき教育の姿を考える(伊藤穰一, 2019年1月6日, WIRED)
https://wired.jp/2019/01/06/tyranny-neurotypicals-unschooling-education-joi-ito/

[iii] 米国の遺伝学者、分子工学者、化学者。 ハーバード大学の遺伝学教授、マサチューセッツ工科大学教授。

[iv] Sasayama  D, Kudo  T, Kaneko  W,  et al.  Brief report: cumulative incidence of autism spectrum disorder before school entry in a thoroughly screened population.   J Autism Dev Disord. 2021;51(4):1400-1405.  doi:10.1007/s10803-020-04619-9 PubMed

Saito M, Hirota T, Sakamoto Y, et al. Prevalence and cumulative incidence of autism spectrum disorders and the patterns of co-occurring neurodevelopmental disorders in a total population sample of 5-year-old children.   Mol Autism. 2020;11(1):35.  doi:10.1186/s13229-020-00342-5PubMed

Nishimura T, Takei N, Tsuchiya KJ.  Neurodevelopmental trajectory during infancy and diagnosis of autism spectrum disorder as an outcome at 32 months of age.   Epidemiology. 2019;30(suppl 1):S9-S14.  doi:10.1097/EDE.0000000000000996 PubMed

[v]  https://www.bbc.com/japanese/57059511

[vi] IEP (Individualized Education Program)は障害を持つ生徒の得意なことや課題、目標、それらをベースとして一人ひとりに合った教育や療育のプログラムが記載された文書のこと。生徒が特別支援教育を受ける必要があると判断されると、対象となる生徒と保護者、学校メンバーによる話し合いのもと作成される。

[vii] 障がいを持つ子どもが社会的に自立して生活できるよう、それぞれの状態に応じた支援を行い、発達を促すこと。明確な定義があるわけではなく、医療行為がなくても療育と呼ばれる。

[viii] ABAとはApplied Behavior Analysisの略で、応用行動分析を指す。 アメリカの行動学者によって提唱された心理技法のひとつ。ABA療育とは発達障害児の行動を分析し、体系化された中で好ましい行動への条件付けを行っていく療育手法。

[ix] エレクトロニック・スポーツの略で、コンピューターゲームやビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称。

 

普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門

著者: 伊藤穰一、松本理寿輝
発行日: 2024年4月
発行元: リンクタイズ

 

 

伊藤穰一先生Profile

株式会社デジタルガレージ 共同創業者 取締役 学校法人千葉工業大学 学長 デジタルアーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、起業家、作家、学者。教育、民主主義とガバナンス、学問と科学のシステムの再設計などさまざまな課題解決に向けて活動中。米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長、ソニー、ニューヨークタイムズ取締役などを歴任。株式会社デジタルガレージ取締役。デジタル庁デジタル社会構想会議構成員。2023年7月より千葉工業大学学長。主な近著に、『AI Driven AIで深化する人類の働き方』(SB新書)、『(増補版)教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン』(講談社文庫)がある。現在、慶應義塾大学での博士論文を基にした書籍「変革論」を執筆中。