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【DXインタビュー】 医学部 岸本泰士郎特任教授 「精神科医療において医療DXが秘める可能性」

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精神科医療に求められる医療DX

 

多くの人にとって身近な存在になりつつある精神疾患。自分自身や身近な人が精神疾患にかかったことがある、もしくは現在かかっているという人が少なくない現代、精神科にかかる人は年々増加している[i]。うつ病を始め、適応障害、統合失調症、強迫症、自閉症、認知症、どれも心や脳の働きが関わる疾患で、これらは精神科の対象になる。精神科医療に対するニーズは高まる一方だが、ニーズに対する精神科医の数の少なさ、精神科医の都市部集中、精神疾患を抱える患者にかかる通院の負担、なかなか進まない新たな治療法の開発、といったいくつもの課題が存在している。そうした問題意識を抱えながら、留学先の米国で精神科とオンライン診療の相性が良いことに気付き、日本でもオンライン診療の普及を促進するために、医療関係者を始め多くの人がその有効性に納得できるよう、臨床試験による研究を進めてきたのが慶應義塾大学医学部 ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座の岸本泰士郎特任教授だ。

 

岸本教授によれば、精神科領域での新たな治療法の開発がなかなか進まない要因のひとつに、精神疾患というものが採血やレントゲンや心電図など、目に見える検査結果で診断できるものでなく、医師の主観的な診断に依存している要素が大きいことが挙げられるという。結果、新しい治療法や薬を開発したとしてその効果が可視化されにくい。また、精神疾患は経験を積んだ精神科医でないとその診断が難しい。岸本教授は、精神科医以外の医師でも普段の診療の中でも少ない負担で利用できる客観的な指標があれば、早期発見、専門医へのスムーズな紹介、早期治療に繋がるとして、患者データをもとにAIがうつ病、認知症のリスクを提示してくれる診断支援機器の開発にも取り組んでいる。

 

コロナ禍を契機に医療のデジタル化がこれまでの医療の形を変容しつつある現在、医療とデジタルがどう融合しながら日本の医療の質を上げていくのか。画期的な新技術を手にしても、その技術を普及・浸透させるために乗り越えなくてはいけない法制度の課題や倫理上の問題がある中、岸本教授がここまでどのように研究を進めきて、これからの日本の医療に対しどのように考えているか今回お話を伺った。

 

 

 

オンライン診療の普及を阻む壁

 

(聞き手:鈴木)
コロナ禍を経てオンライン診療の普及が急速に進んだ空気を感じていますが、それでもまだ私自身はオンライン診療を経験していません。昨年末、岸本教授は精神科でのオンライン診療の有効性を臨床試験のもと実証されましたが、現在日本でオンライン診療はどのくらい普及しているのでしょうか。

 

(岸本教授)
コロナ禍前の普及率がほぼゼロに近かった状況と比べるとコロナ禍で急速に使われるようになったことは確かですが、諸外国、特に米国と比べるとほとんど活用されていないと言わざるを得ません。コロナ禍の2021年に行われた米国の調査では、精神科の患者さん全体の5割近い人々が、オンライン診療を経験済みであることが示されました。今でも医療機関によってはコロナ禍中と類似のレベルで活用しているところもあると聞いています。一方、日本では全診療件数におけるオンライン診療の割合が現在1%にも及びませんから、その差は歴然としています。一部の医療機関の一部の診療シーンでしか使われていない現状があります。

 

(鈴木)
日本でなかなか普及が進まないのは何か要因があるのでしょうか。

 

(岸本教授)
ZoomやGoogle Meetなど、遠隔でのやりとりに必要なツールや技術は既に揃っており、多くの人がそれらを使いこなせているにも関わらず日本で普及が進まないのは、一言でいうとオンライン診療を使いやすい医療環境が構築されていないためです。ドイツではロックダウン中に対面診療が禁止されたため、知り合いのドイツの医師は全患者を、電話を含む遠隔で、そのうち6割をビデオ画像付きのオンライン診療で診ていたといいます。また、私の知り合いの米国の医師はコロナ禍中、全患者の9割を遠隔で、そのうち6割をオンライン診療で診ていると話していました。コロナ禍の去った今も多くの患者さんをオンライン診療で診ているそうです。それを聞いて日本との違いを強く感じました。

 

オンライン診療をしっかり活用しようとする国においては、オンライン診療に対する制限が少なく、対面診療同様の料金が設定されていました。一方で、日本では慎重論が以前から根強くありました。診療科の中でも差があり、比較的よく使われている科とそうでない科があります。本来精神科は、オンライン診療をフル活用できるはずの診療科なのですが、保険診療上の抑制がかかっていていることが原因で、利用している医師が少ない状況です。

 

(鈴木)
どのような抑制がかかっているのでしょうか。

 

(岸本教授)
日本の医療政策は診療報酬制度[ii]をもとに進められてきました。医療はサービス業でありますが完全なサービス業ではなく、いわば半公的なものです。医療費が保険点数として一律に決められており、「この診療行為に対してはこの金額を患者さんに請求していいですよ」ということが、診療報酬制度という国のルールで定められています。

 

しかしこのルールの中でオンライン診療については、コロナ禍前まで保険点数が殆ど算定されていませんでした。精神科にかかった場合患者さんが負担する保険点数は、初診料もしくは再診料と、カウンセリング料(通院精神療法にかかる点数)、薬を処方された場合は処方箋料の合計で、金額にすると医療機関の収入は5,000円程になります[iii]。このうちの大きな部分を3,000円程のカウンセリング料が占めるのですが、オンライン診療ではカウンセリング料を請求できないルールになっていました。オンライン診療をやってはいけないという法的なルールはありませんでしたが、オンライン診療をやっても収入が少なく、慈善事業になってしまうという状況が長い間ありました。

 

そこにコロナ禍がきて、急遽、緊急の時限的措置として全診療科のオンライン診療に対し、医学管理料として1500円程を請求できるルールに変更されました。しかしコロナが収束した昨年7月にこの時限的措置が解除され、保険点数が取れなくなったのです。そのような状況の中、私が実施したオンライン診療の非劣性試験、すなわち臨床試験を通じてオンライン診療が対面診療に比べて劣っていないことを実証できたことで、今年の6月からは、要件を満たす場合においてカウンセリング料として点数を取れるルールに変更されることが決まりました。

 

(鈴木)
ある診療に対する有効性が実証されることで、保険点数の見直しがなされるのでしょうか。

 

(岸本教授)
一概にそうとも言えません。無論、「科学的に実証されたから、制度が変更される」が理想だと思いますが、その時の政策の意向を汲んだ流れになることも往々にあります。強いエビデンスが得られている場合でも、なかなか制度に反映されないことはありますし、反対にあまりエビデンスないのに制度が変更されることはあります。

精神科の診療は、聴診や触診、レントゲン検査が必要な診療科とは違い、患者さんの顔を見ながら会話をすることで大部分が成り立ちますので、本音を言えば臨床試験によるエビデンスがなくても、オンラインでも精神科診療は可能だろうと思われます。ただ、オンライン診療に相性が良い診療科であるが故、予想を上回る勢いで利用が進み過ぎてしまうのではないかという懸念を持つ医師の方々がいらっしゃったのも事実です。私としては、オンライン診療は患者さんにとっての利益が明らかに大きいため、医療の中で少しでも多くの医師や患者さん方に使ってほしいという思いがありました。「精神科オンライン診療は対面診療に劣らない」ことを臨床試験で明らかにし、それを多くの人に知ってもらう[iv]ことで、活用すべきだという流れを作りたかったわけです

 

 

 

保険診療の中で求められるオンライン診療の位置づけ

 

(鈴木)
なるほど、そういった目論見をお持ちだったのですね。精神科オンライン診療での保険点数は6月からどう変更されることが決まったのでしょうか。

 

(岸本教授)
初再診料や処方箋料は対面診療と同じで、カウンセリング料は対面診療の9割弱になります。ただし、精神科医の中でも精神保健指定医という資格を持った医師でないと算定できない決まりです。さらに縛りがあって、「地域の精神科救急に貢献している病院に勤めている」ことも算定の条件になっています。

 

(鈴木)
コロナ禍前よりは精神科オンライン診療で取れる保険点数は上がりましたが、対面診療と同等の点数は取れず、さらに、従事する医師と病院に関する一定の条件をクリアしていないと算定できないのですね。それではオンライン診療の普及は進みませんよね。

 

(岸本教授)
医師の先生方は日々とても忙しく、患者さんは常に何人も待合室で待っていて、前の患者さんが終わるとすぐ次の患者さんが入るといった入れ代わり立ち代わりの状態です。そのような中でパソコンを立ち上げて患者さんとオンラインで繋がる・繋がらないであたふたする手間を避けたい気持ちは十分理解できます。

そのような状況でも患者さんのために「オンライン診療をやってみよう」と思った医師が、対面診療と同じだけの費用を請求できないと知れば、導入への気持ちが失せてしまうでしょう。医療も経済的なメリットがなければ、利用が進まないのは当然です。ちなみに、オンライン診療を行うと「システム使用料」という名目で、自費として患者さんに費用を請求できることになっている[v]のですが、これは医療機関ごとに金額を自由に決めてよく、病院・クリニックごとに設定がバラバラです。このシステム使用料を高めに設定すれば、保険点数での不足分をカバーできるのですが、患者さんに請求しづらいと感じる医師や、保険診療に慣れていて追加で自費の金額を請求されることを受け入れ難い患者さんもいらっしゃいます。そう考えると日本で精神科オンライン診療の普及が進むには、保険点数が対面診療と同じになることが必要だと思います。

 

 

オンライン診療に対する賛否両論の声

 

(鈴木)
そうした診療報酬制度の課題以外にも、オンライン診療の普及がなかなか進まない要因はあるのでしょうか。

 

(岸本教授)
オンライン診療に従事する医師は、e-ラーニングのオンライン診療研修を修了する必要がある[vi]ことや、オンライン診療を行う医療機関としての届け出が必要であること、患者さんとオンライン診療を行う上での同意書を事前に取り交わす必要があるなど、対面診療にはない、いくつかのルールが義務付けられていることが挙げられます。

また、使用するオンラインビデオツールについて言えば、セキュリティの要件さえ満たしていれば何を使ってもよいのですが、診療専用に作られているツールの方が医療情報を扱う上でセキュリティ的に安心ですし、予約システムや支払いシステムと一緒になっているツールの方が使い勝手が良いです。ただ、そういった診療に特化したシステムの導入コストには費用が掛かるため、普及を留まらせる要因になっています。

 

(鈴木)
オンライン診療に対する医師の見方はどうでしょうか。

 

(岸本教授)
ITに慣れている医師にとっては、こうしたツールの利用に対する抵抗感は薄いと思いますが、ITスキルの低い医師にとっては抵抗感や苦手意識があると思います。また、対面で診る時ほどの情報、例えば患者さんの雰囲気やにおい、診察室に入ってくる時の様子などの情報が得られないという意見もあります。しかし、マスク着用が求められる医療機関が今も多くある中、対面の場合は患者さんの表情が見えづらいですが、オンラインであれば表情がしっかり見えます。また、画面越しに患者さんの部屋の状態などが垣間見られて、生活状況の把握にもつながります。こうした対面では得られない情報がオンラインでは得られる場合があるので、オンライン診療だからといって診療の質が落ちることはなく、むしろ対面診療を上回るオンラインならではのベネフィットがあると考えています。

 

そのひとつに、産業保健[vii]での活用が挙げられます。私は企業の社員の方々に対して、彼らのメンタルヘルスの回復・維持のために産業医としてカウンセリングを行うことがありますが、この分野ではオンライン診療が特に役立っています。中でも海外赴任中の社員さん方からは、言語も文化も違う場所で生活しながら、日本語で産業医の先生と会話ができるのは助かるという声を聞きます。このカウンセリングで、赴任地での業務継続が難しいと判断された場合には、人事部と相談して帰国指示を出す場合もあります。こうした場面ではオンライン診療ならではのメリットが十分に生かされていると言えます。

また、患者さんの中には引きこもりになってしまう方もいますので、そうした患者さんに対してもオンライン診療であれば医療を届けやすいでしょう。他にも、精神科は専門性が非常に高い領域であり、専門の先生が近隣にいないといった声をよく聞くのですが、オンライン診療が普及すれば、通えない距離にいる経験豊富な先生に診てもらえる可能性が生まれます。

 

講演をしていてよく感じるのですが、日本の医師の先生方には慎重な方がとても多いです。オンラインでも問題なく精神科診療ができている事実があり、講演でそのことを伝えても「オンライン診療で本当に大丈夫なのでしょうか?」とおっしゃる方が少なくありません。ほとんどの先生方はまだオンライン診療をやったことがない状態で誤解や不安をお持ちなので、一度試してもらって問題ないことを実感していただきたいです。ただ、最もネックになっているのは、すでにお伝えしたように経済的なメリットが少ないことなので、この点を改善しないと普及は進まないでしょう。

 

 

(鈴木)
患者の立場になって考えてみても、自宅からカウンセリングを受けられることや、待合室で他の人を気にしなくていいなど、オンライン診療のメリットは大きいのではないかと思います。

 

(岸本教授)
オンライン診療の有効性を臨床試験で実証した今回の臨床研究では、患者さんに対するアンケートも実施したのですが、そこで得られた声の中には、対面診療では学校や仕事を休まなくてはならなかった、子供を預けなくてはならず来院が心理的・体力的にきつかった、オンライン診療ではその負担がなくなり、治療継続がしやすかったなどというものがありました。診療自体は10~15分のことが多く、その時間だけのために学校や会社を休まなくてはいけないということで、患者さんに大きな負担がかかっていたことを改めて痛感しました。

 

また、ご指摘の通り、残念ながら精神疾患にかかることに対する偏見はまだ強く存在していて、精神科に通っていることを知られたくない患者さん、待合室に居ると知り合いに会うのではないかと緊張する・不安になるという患者さんは少なくありません。そうした気持ちと戦って通院を続けてきた患者さんたちの声を聞き、オンライン診療という選択肢を用意することで患者さんの心理的負担を減らしたいと思いました。また、具合が本当に悪くなるまで受診しない方も多くいらっしゃるので、精神科を受診することへのハードルを下げることが必要だと強く感じました。

 

 

小児精神科におけるオンライン診療の可能性

 

(鈴木)
岸本教授は大人の患者さんのオンライン診療だけでなく、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)のお子さんに対するオンライン診療の有効性についても研究されていらっしゃいますよね[viii]

 

(岸本教授)
その分野は近年非常にニーズが大きくなっています。小児精神科は精神科の中でもさらに専門性が高い領域で、診られる先生が非常に限られています。そのため、初診まで数か月から半年待ちということもざらで、受診までのハードルがとても高いという問題があります。また、親御さんにかかる通院の負担の問題もあります。症状が軽いお子さんであれば大きな負担はないかもしれませんが、症状が強いお子さんだと病院に連れて行くだけでも一苦労というケースは少なくありません。そのため、小児精神科のオンライン診療は、特にニーズが高いという現状がありましたので、ADHDやASDの子どもに対するオンライン診療の有効性を臨床試験で実証したいと考えました。

 

ただ、臨床試験というのは計画から実施、そこから結果の検証に至るまでに大変な道のりがあります。先ほどお話しした大人を対象としたオンライン診療による非劣性試験では、費用として1.5億円かかりました。20程の医療機関に臨床試験への参加協力をお願いし、試験開始のための準備を整えるだけでも大変な苦労です。中には依頼した患者さんの組み入れがなかなか進まない機関もありますから、新たに医療機関をリクルートするなど、マネージメントにも多くの手間がかかりました。子どもを対象とした場合はさらにハードルが高く、早々にできるものではありません。ですので、この試験に際しては、医療機関や患者さんにかかる負担を最低限にして、なるべくスピーディーに結果が出るような形での試験をデザインし実施しました。

 

(鈴木)
この臨床試験はどのように進められたのでしょうか。

 

(岸本教授)
まず対象となる子供さんとその親御さんに対してその試験の内容、目的、リスクの説明を行い、参加への同意をいただきます。受診したばかりの患者さんに参加をお願いすることは難しく、まだ受診も診断もされていない患者さんに依頼することはほぼ不可能ですので、すでにADHDやASDの診断を受けている、通院中の患者さんを対象にしました。参加同意をいただけたら、お子さんと親御さんのペアには対面診療とオンライン診療を1回ずつ、計2回受けていただきます。対面診療とオンライン診療では別の医師が担当し、各医師には、ADHDやASD の重症度を評価してもらいます。対面での評価を正解と定義し、オンラインでの判定が一致もしくは近ければ、オンラインでも同レベルの診察が可能であると言えるとして試験をデザインしました。

 

(鈴木)
そもそもの話ですが、ADHDやASDのお子さんに対する診察とはどのようなものなのでしょうか。

 

(岸本教授)
医療機関での医師による診察の場合は、一つには薬の処方とその調整です。そのほかに、療育[ix]や日常生活でのアドバイスを行うことが多いです。

 

(鈴木)
であればカメラ越しでもお子さんの様子が把握できれば、オンラインでも診察は可能に思えます。

 

(岸本教授)
その通りです。最もインパクトのある実証は「オンライン診療でも治療の効果は変わりません」ということですが、それを臨床研究で明らかにするのは特に子どもを組み入れる場合は困難を極めます。まずは「オンラインで診ても、対面で診る時と同じような評価ができる」ということを実証したわけです。この結果を拡大解釈すれば、「患児の様子はオンラインでも把握できる」ということになるので、「様子が分かれば治療もできますよね」というのがこの実証で伝えたかったメッセージです。

 

(鈴木)
このメッセージを受けた小児精神科の先生方や医療機関が、オンライン診療を導入し始めるといいですよね。

 

(岸本教授)
はい、ここでもやはり診療報酬が肝で、実際に経営に関わっている先生が導入するかどうかを決めますので、保険点数が算定できるようになるかが分かれ目でした。これについても制限付きですが、医師が行う小児のカウンセリングに対してこの6月よりオンライン診療での算定が認められるようになりました。

 

オンライン診療に対して膨らむ懸念の声

 

(鈴木)
オンライン診療への加算に対して慎重な見方や反対の意見を持っている先生方の真意はどこにあるのでしょうか。

 

(岸本教授)
オンライン診療の普及が進み過ぎてしまうことで、例えば地域の医療の弱体化につながるのではないかという意見があります。加えて、診療の質が低下することが懸念されています。実際、この数年間で、オンライン診療を利用して必ずしも責任ある医療を提供しているとは言えないクリニックが出て来ています。具体的に言うと、GLP-1受容体作動薬という、本来は糖尿病の患者さんのための薬が、やせ薬として肥満でもない人に対して、大量に処方されていた事実が明らかになりました[x]。それにより、本来届かなければいけない糖尿病の患者さんに、薬が回らなくなってしまうという大問題も起こりました。

 

また、身体チェックをしないままに男性機能低下に対する薬やピルを処方するクリニックや、診断書の即日発行を大きく謳うクリニックの存在が明らかになりました。多くがオンライン診療を利用していたことから、「オンライン診療=いい加減な治療が行われやすい」というマイナスイメージに繋がってしまいました。その影響もあって、オンライン診療には賛同できないという論調が一部で強くなっています。

 

 

(鈴木)
対面診療にはないオンライン診療の手軽さが、一部の無責任な処方を行う医師により、利用されてしまっている現状があるのですね。

 

(岸本教授)
こういったケースの根本的な要因は医師の倫理観の問題であり、オンライン診療自体はその問題の一端に過ぎないのですが、こうした問題がオンライン診療のせいと見なされがちです。しかし、こうした問題をオンライン診療のせいと見るのは筋違いで、対面・オンラインに関わらず、いい加減な診療をしている医師は残念ながら一定数いるので、その摘発に注力すべきでしょう。

今後は、どう従来型の医療と新しい形の医療を共存させていくのか、良質なオンライン診療を普及させるためにはどうすればよいのかを真剣に考えなければなりません。色々な考えを持つ人がいて当然で、どれが正解ということはありません。コロナ禍を通じて、国によっても大きく考え方が違い、それが医療の在り方を変え得ることは多くの人が経験したことでしょう。

日本はオンライン診療に対して、強くブレーキを踏む状態でスタートし、コロナ禍で一旦ブレーキを弱めましたが、大きな前進はなく、まだまだ諸外国に比べるとブレーキは強くかかったままと感じています。

また、AIやデジタル技術を使った医療の革新が今後期待される中で、慎重論ばかりでブレーキがかかったままだと、デジタル技術を活用して急速に医療革新を進めていく諸外国との医療レベルの差が出てきてしまうことも懸念しています。

 

 

オンライン診療の延長線上に現れたデータ解析による医療

 

 

(鈴木)
岸本教授は、AIやデジタル技術を利用した新たな医療の形の一つとして、患者さんの表情、身体の動き、話す内容、音声などを判断材料に、その患者さんの精神疾患の重症度を自動で診断する医療機器の開発を進めていらっしゃいますよね。この開発を始められたのには、何か問題意識やきっかけがあったのでしょうか。

 

(岸本教授)
オンライン診療を日本でも普及させたいという思いを持ちながらオンライン診療を活用する研究を行う中で、患者さん方の表情や声はデジタルデータとして届くので、これをそのまま解析したらなにかできるのではないかと考えたのが最初のきっかけでした。オンライン診療の延長線上で、新しい医療の形を提案できたらいいなという思いがありました。

 

(鈴木)
患者さんのデータをもとにしたAI診断支援ツールの開発に2015年頃から取り組まれていますが、今どのあたりの段階に来ていらっしゃいますか?

 

(岸本教授)
同時進行でいくつかの技術開発を進めていて、複数の企業と協力しながら開発を進めていますが、一番ゴールに近い技術のひとつは、自然言語処理[xi]を使って、患者さんの会話から認知症のリスクを判定するものです。スポンサーとなる製薬企業が決まったことから、この技術を取り入れたプログラム医療機器を国に認可してもらうための準備を進めているところです。

 

(鈴木)
患者さんの会話をもとに認知症のリスクを判定するとは具体的にどういうことでしょうか。

 

(岸本教授)
認知症の疑いのある患者さんの自然会話を、コンピューターが自動書き起こしをして、その文章や単語の特徴をもとに、認知症のリスクがあるかどうかを判定します。このプログラム自体はすでに出来上がっていますが、これを医療機器として医療の中で活用してもらうためには、治験を行わなければなりません。今はその治験をどのように進めるかのデザイン設計の段階にきています。

 

 

治験を経て世に出るまでのステップ

 

(鈴木)
治験を経て、国から医療機器としての承認を得るまでにどのくらいの期間がかかりそうでしょうか。

 

(岸本教授)
治験にかかる期間はものによってさまざまですので、一概には言えません。今回の場合は試験デザインが比較的シンプルですので、2年以内に結果を出せたらいいなと思っています。認可が下りれば世に出せますが、この医療機器を使った検査に保険点数がつかなければ保険診療の中では使えないため、ここでも診療報酬制度の課題が持ち上がってきます。

 

(鈴木)
治験はどのように進められるのでしょうか。

 

(岸本教授)
治験を行うときはPMDA[xii]という機関と相談しながら治験のデザインの設計を進めます。求めている効能と望んでいない副作用が適切な範囲に収まっているのかを判定できる試験デザインをPMDAとともに決めるわけです。

今回のような自然会話を用いる診断補助機器の場合、薬と違って副作用というのは考えにくいですが、認知症のリスクを判断する機器にも関わらず例えば60%しか当てられないような医療機器では認可は下りません。どのくらいの正答率でリスクを提示すると医療の中で意味があるのか、既存の他の方法ではどのくらいの正答率でリスクを同定できているのか、などを検討しながら、目標が定められます。正答率だけではなく、この機器を用いることで実際に患者さんや医療機関がどの程度の恩恵にあずかるのか、承認したら今度はコストがかかりすぎて結果的に医療費を圧迫しないかなど、医療経済的な観点でも検討されます。

 

 

(鈴木)
この医療機器の開発はどのように行われたのでしょうか。

 

(岸本教授)
認知症、軽度認知障害、健常高齢者と、それぞれ診断された患者さんのデータを大量に集め、どのように解析をすれば高い精度で認知症のリスクが見つけられるかの分析を、AI開発企業と協力しながら進めていきました。特徴量の抽出方法や機械学習のモデルを色々と試した結果、最も高い判定精度を出し、かつ計算コストがかかりすぎない方法を確立しました。慶應義塾大学病院をはじめいくつかの医療機関の患者さんを対象にした臨床実験を行ったところ、9割程度の正当率を達成できました。

 

(鈴木)
治験を経てこの機器が世に出た暁には、医師による認知症リスクの診断は不要になるのでしょうか。

 

(岸本教授)
いいえ、これはあくまで医師による診断を支援するツールです。自動運転で言うところの人が運転しない完全自動運転を日本の医療は受け入れていないので、「診断支援」としての立ち位置を考えています。この機器はスクリーニング機器として位置付けています。すなわち認知症のある人を見つけやすくして、リスクがあると判定された人に対するより詳細な診断については医師が行う、という使われ方を想定しているからです。

 

 

データをもとにAIがうつ病を早期発見

 

(鈴木)
スクリーニング機器としての位置づけとのことですが、他にも先生は、装着するだけでうつ病のスクリーニングと重症度評価が可能なリストバンド式のウェラブルデバイスの開発も進めていらっしゃいますよね[xiii]

 

(岸本教授)
はい、このプロジェクトはSWIFTという愛称をつけて現在、注力しているものです。もともと、私が2015年から3年間取り組んだプロジェクトがベースになっています。そのプロジェクトでは患者さんからあらゆるデータ、具体的には診察中の表情、体の動き、音声をそれぞれビデオ、赤外線カメラ、マイクで記録させてもらったり、リストバンド型ウェラブルデバイスを日常生活で装着してもらったりして、うつ病の診断に使えそうなデータを探索しました。様々な種類のデータのうちどれを使うと診断や重症度評価の材料として有効なのかという問いと同時に、どのデータなら医療現場での収集に適切かということも検討していました。

 

実は、表情データがうつ病や認知症の判断材料としてかなり有効なデータではあることはわかったのですが、診察中の患者さんに対して、ビデオ撮影をお願いするのは気持ちのいいものではないでしょう。表情で症状を診断するということ自体に対して、倫理的な疑問がぬぐえず、悪用も心配されましたので、表情に特化した診断機器の開発はやめました。その点、ウェラブルデバイスの装着であれば、医師としても患者さんにお願いしやすく、うつ病の重症度評価に有効なデータも収集しやすいことがわかったので、現在企業と協力しながらSWIFTの実装化を進めています。

 

(鈴木)
先生はAIやデジタル技術を利用した医療の形を、様々なアプローチから探っていらっしゃいますが、そういった新たな医療に何を期待していますか。

 

(岸本教授)
精神科疾患は定量化・数値化が難しいという課題があり、結果、診断や治療が遅れがちです。こうした問題に対処できる医療機器として利用されることを期待しています。先ほどの患者さんの会話から認知症リスクを判定する機器について言えば、家庭医の先生のもとで使われることを想定しています。認知症のスクリーニングには、長谷川式やMMSEという検査が一般によく使われていますが、それでもきちんと使い方を理解し、普段の診療で利用している先生は多くありません。こうした医療機器が導入されることで日常の忙しい診療業務の中でも負担なく診断ができれば、認知症の早期発見に繋がるでしょう。

 

なお、認知症は早めの診断が重要な疾患のひとつです。長谷川式やMMSEのテストを何回もやってしまうと、患者さんは質問を覚えてしまい、学習効果が生じます。故に検査として意味をなさなくなってしまうというデメリットがありますが、患者さんの会話をもとに診断するものであれば学習効果が生じにくいと考えられます。その点でもこの医療機器は有効です。家庭医がこの機器を日常の診療で使うことで早期発見ができ、専門医の下での治療が早期に始められれば、その後の患者さんの負担を少なくできます。

うつ病の場合も同じような課題があります。家庭医や産業医の先生が「この患者さんはうつ病かもしれない」と思っていても、精神科が専門でない場合は自分の判断に確信が持てないことも少なくありません。うつ病のスクリーニング検査ができるこうしたウェラブルデバイスが活用されれば、専門医への紹介もしやすくなるでしょう。

 

また、専門医であってもうつ病の重症度評価というのは経験が必要で、さらにそのテストには30分かかります。普段の診察業務の中で30分もかかるテストを行うのは難しく、そう考えると一週間のウェラブルデバイスの装着で、症状の重症度の変化を把握できれば、忙しい医療現場でも便利なツールとして役に立つでしょう。SWIFTの場合、スクリーニング検査としてうつ病リスクを提示するだけでなく、重症度評価もできるようにしたのは、うつ病の場合、治療が上手く行っているどうかの客観的な指標がなく、医師の感覚や判断に頼り過ぎているという課題があったためです。患者さんによっては「この先生で本当に自分の症状をわかってもらえているのかな」という不安がある方も少なくなく、そこにAIによる判断も加わることで、安心に繋げられることも期待できます。医師も患者も、AIによる判断を鵜呑みにする必要はありませんが、判断材料のひとつとして有効活用されることを期待しています。

 

 

精神科医療の底上げにつながる医療のデジタル化

 

(鈴木)
AIやデジタル技術を活用した医療が、精神科医療特有の課題に上手くフィットする可能性があるということですね。

 

(岸本教授)
これまでの精神科医療ではしっかり確立した客観的な指標がない中で、それぞれの医師の経験や判断に依存せざるを得ない側面が大きくありました。そこにAIやデジタル技術を活用した新たな指標を作りだすことは、早期診断や治療につながり、重症化予防や治療期間の短縮などにつながると考えています。

現在の精神科医療が十分に患者さんの役にたてているかというと、程遠いと感じています。うつ病の患者さんは完全に回復されることもありますが、治療が十分な効果をもたらさず長い期間患われる方もたくさんいます。統合失調症の根治的治療はありません。認知症も、近年は新しい治療薬が話題になっていますが、ゴールからはまだ遠い地点にいます。薬の開発を含め、新たな治療法の研究がなかなか進んでいない現実があります。

 

そもそも精神疾患を患われる患者さんの脳で何が起きているのか、まだ明らかになっていないことだらけです。採血をしても健常者との違いはわかりません。また、多くの精神疾患は異質性の高い集団であることも知られています。例えば、うつ病といっても、いろいろな症状の方、いろいろな原因が混ざっていて、有効な治療もバラバラです。治療効果の指標が曖昧なままでは、新しい治療法や薬の開発に対して困難な状況が続いてしまいます。そういった問題に対して、AIやデジタル技術を利用した、客観的で可視化できる新たな指標の開発に取り組み続けています。

本日紹介した開発中の医療機器は、医療の中で使う、すなわち医師が診療で活用することを想定していますが、医療の外の領域、すなわちヘルスケア領域でも活用してもらうことも視野に入れています。心の状態というのは目に見えにくく、自分でも客観的に捉えにくいものです。自分の精神状態をより良く保つためのセルフケアツールとして、誰にとっても役立つルーツに発展できればとも考えています。

 

一方で考えなくてはいけないのがELSI[xiv]の問題です。AIによる診断でもし誤診がなされた場合その責任は誰が取るのか。医療の中であれば、基本的には担当医師の責任になりますが、ヘルスケア上でのミスの場合は責任の所在が曖昧になります。また過剰診断のリスクも無視できません。あとはAI機器に頼り過ぎることで、医師が段々自分の頭で考えなくなって医師としての能力が落ちることも考えられます。実際、自分では心電図を読めない医師も増えていますのでその傾向が進む可能性は十分にあります。

しかしだからといって医療のデジタル化にいつまでもブレーキをかけたままでは、国際的に見て日本の医療のレベルが遅れをとり、将来的にはその差が取り返せないほど大きくなることも懸念されます。医療AIの活用はその最たるものです。AIをフルに活用しようとする国々の医療レベルから遅れないためにも、ELSIとのバランスをとりつつ、医療のデジタル化のスピードを上げていく必要があると考えています。

 

(聞き手/文章 鈴木薫)

 

[i] 令和4年の厚生労働省による「精神疾患を有する総患者数の推移」参考資料より
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000940708.pdf

[ii] 保険適用内の医療サービス・医薬品・医療機器に対して個別に設定された点数に基づき、各医療機関が実際に行った医療行為に対する点数を算出し、被保険者と保険者からその点数(1点=10円)に対する医療費の支払いを受ける仕組み

[iii] このうち患者の負担は一般的に3割

[iv] 「精神科の診療 オンラインでも対面と同等の効果 慶応大など研究」 (NHK, 2023年12月16日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231216/k10014290011000.html

[v]保険診療と自費診療の費用を同時に請求することはできない決まりがあるが(混合診療の禁止)、いくつか例外がありその一つとして、オンライン診療では通常の保険点数に加え、自費でのシステム使用料の請求が認められている。

[vi] 厚生労働省オンライン診療研修実施概要  https://telemed-training.jp/entry

[vii] 従業員がやりがいを持ちながら安全に働けるようにするために、健康面からサポートする企業の取り組み。 基本的に、事業所の衛生管理者や産業医、保健師が活動を行い、職場外の専門家が支援する。

[viii] 「児童の注意欠如多動症(ADHD)評価はオンライン診療で実施可能-ADHDの遠隔評価の高い信頼性を検証-」(2024/02/20
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2024/2/20/28-156975/

[ix] 障害のある子どもの発達を促し、自立して生活できるように援助する取り組み。発達障害の子どもへの療育の場合は作業療法やトレーニングを行うことが多い。

[x] 「GLP-1ダイエット “夢のやせ薬”の落とし穴 」(NHK,2023年12月28日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231228/k10014301451000.html

[xi] 人間が日常的に使っている自然言語(言葉)をコンピューターに処理させる一連の技術

[xii] 独立行政法人医薬品医療機器総合機構、通称PMDA。厚生労働省所管の組織。医薬品の副作用や生物由来製品を介した感染等による健康被害の迅速な救済や、医薬品等の品質・有効性・安全性の審査を行う機関。

[xiii] 「うつ病の客観的な診断を支援するウェアラブルデバイスの開発」(住友ファーマ株式会社)
https://fbo-sumitomo-pharma.com/ja/collaboration/i2medical.html

[xiv] 倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったもので、開発された新技術を社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題をいう。

 

岸本泰士郎特任教授Profile

2000年に慶應義塾大学医学部を卒業後、同年同大学医学部精神・神経科学教室に入局、国家公務員共済組合連合会立川病院、医療法人財団厚生協会大泉病院を経て、2009年よりThe Zucker Hillside Hospital(New York, USA)にPost Doctoral Research Fellowとして入職、2012年にDonald and Barbara Zucker School of Medicine at Hofstra、Assistant Professorに就任、2013年より慶應義塾大学医学部精神神経科学教室専任講師、2021年より慶應義塾大学医学部 ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座 特任教授に就任。

精神医学とICT・AIなどデジタル技術の融合をテーマに、2013年以降、複数の大型研究を推進。保健医療分野におけるAI活用推進懇談会構成員(厚生労働省)、一般社団法人日本メディカルAI学会評議員。