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医療の最適化を求めて
国民皆保険制度を採用している日本では、国民が医療にアクセスしやすい環境にあります。保険証を提示するだけで、医療費の3割で医療を受けられることが当たり前の感覚になっています。しかし、一方で生じている課題が、医療従事者への大きな負担です。こうした中、政府による働き方改革がスタートしましたが、この政策に対して骨抜きと見る医療従事者は少なくなく、医療の持続可能性が危ぶまれています。
医療従事者への負担が問題視されるようになるはるか前から、「持続可能な医療には医療の最適化が必要である」として、そのテーマで長年探求をされているのが環境情報学部の矢作尚久教授です。子どもの頃から情報の世界に強い興味を持ちながらも、怪我で心臓外科医の道を諦めるも、公私の恩師だった故北島政樹教授のお導きの元、小児科医の道を選び、臨床の現場に携わる中で独自の視点を養ってこられました。そして、医療の最適化のためにはまず医療情報にメスを入れる必要があるとして、研究者と医療者それぞれの立場から、医療の最適化のために様々な取り組みをされてきました。
そのひとつが患者さんの自動で問診・診断を行うシステムの開発です。問診とは、問診票の回答もしくは、医師との会話を通して患者の症状を聞き取ることですが、矢作教授はこの問診を機械で自動に行うシステムを開発しました。その結果得られたのが、症状と病名を網羅した辞書です。辞書と言っても紙の辞書ではなく、あらゆる症状のパターンが書かれたコンピュータ上の辞書で、いわば医師の脳内プロセスを再現したものです。この辞書を参照すれば、「この年齢の患者によるこの症状の変化はこの病気である」ことが誰にとってもわかり、医療現場にのしかかっているエネルギーが大きく抑えられ、医療の最適化に繋がると言います。
「日本の医療制度は素晴らしいが課題も多い」
そう語る矢作教授に今回、医療の最適化についてお話を伺いました。
エネルギーの最小化に求められる「情報」
(聞き手:鈴木)
いつ頃から情報の世界に関心を持たれたのでしょうか。
(矢作教授)
子供の頃から情報の世界に興味を持っていました。父が「これからは検索の時代になる。コンピュータの記憶が圧倒的になるから、もう人間は記憶する必要はなくなる」とよく口にしていました。世界の第一線で経営学を専門とする父とは、世の中の仕組みや人の営みとしての経営の本質とその戦略についてディスカッションをすることが家庭での日常でしたので、社会がどういった流れで動いているのか、裏でどう物事が動いて表面化しているか、そういったことに視点を向けることが子供の頃から習慣化していました。
ある時、おそらく10歳くらいの時だったかと思うのですが、その頃見たニュースで、WHOがアフリカへワクチンを運ぶシーンが映し出されました。スタッフたちは、氷を詰めたクーラーボックスにワクチンを入れ、ジープに乗って移動していました。それを見て、巨額の予算を保有しているWHOにしては、大したコストをかけていないことに疑問を抱きました。と同時に、医療の現場は非常にエネルギーのかかる場所なのだと気づきました。温度管理、きれいな水、清潔な環境、知識を持った人(知識を得るための労力を含む)、移動、材料など、全てが日常で必要とされる時よりも「エネルギーを要する状態」にあるということです。それに気づき、「どこでワクチンが必要されていて、どのようなルートで、どのタイミングで、誰が接種することが最も効率的なのか」と考えるようになりました。
そこで着目したのが「情報」と「時間」でした。「情報と時間を上手く扱うことができれば、無駄なエネルギーをかけずに物事を進めることができる」その考えが子どもの頃からあったので、臨床医として目の前の患者の状態を正確に把握するための情報は何かを導き出すべく、構造的なデータ群を把握する臨床研究の道に入りました。患者をいち早く救うために体の中で起きている現象(=病態)をデータ化、可視化して、刻々と変化するデータを世界中の医師と共有することで、適切なタイミングで最良かつ最適な治療法を見つけ出せる仕組みを作りたかったわけです。
診療支援システムの開発
(矢作教授)
医学部に入って、医師にしかできないことは何かを考えた時、それは治療のタイミングを把握することだと思いました。教科書や論文を読めば診断方法や診断基準はあるのですが、時々刻々と変化する患者さんの状態に対して、どのタイミングで治療を施すのかはわかりません。研修医時代の私が、先輩医師に聞いても「総合的に判断するのだよ」と言われるだけでした。一方で、優秀な先輩医師らを見ているとそこには共通して、患者の状態変化に適確に対応している姿がありました。そこで、自分なりに考えた結果、「患者の状態がどのように変化しているのか、過去から現在を正確に見立てて未来を予測すること」と「最先端の医療とスタンダードの医療を正確に把握し、どの治療をどのタイミングで提供できるかを知っていること」、この二つが必要と考えました。
後者の最先端の医療は、時代と共に変わっていくので日々の情報収集でアップデートするしかありませんが、前者を考えた時に、「患者の状態がどのように変化しているのか定義するもの」がどこにもないことに気づきました。患者さんが病院に受診するきっかけは、自分で何かしらの異変を感じたか、誰かに指摘(健診含む)されたか、です。そこで着目したのが「問診」でした。
問診とは、患者さんの年齢性別、既往歴といった基本情報を始め、来院の要因となった症状について、問診票や医師との口頭でのやりとりを通して聞き取ることです。
(鈴木)
先生はのちに「診療支援システム」を開発されましたが、そこまでにはどのような道のりがあったのでしょうか?
(矢作教授)
研修医の時点で、自分の頭の中には、自動問診・自動診断を含む診療支援システムの図式が出来上がっていましたが、それを実装するには知識も経験も浅い自分一人では難しく、第一線のプロの頭脳が必要でした。そこで2001年、医師仲間や先輩たちにこの構想案を提案し、手伝ってくれる人を探してお願いに回りました。半分以上の医師からは「もしその機械が診断を見誤ったらどうするんだ」「医師の仕事を奪うのか」と厳しい意見をいただきましたが、それに対して私はこう答えました。
「例えば、先生方のような素晴らしい医師に出会えたことで救われる患者が年間1万人いて、出会うことが出来ない患者さんが年間1万人いて、亡くなっているとしましょう。この機械に先生方の頭脳を入れて、1万人のうち9000人を救えるようになったとします。この事実を知りながらこのプロジェクトに参加しないということは、9000人を見殺しにすることになりますが、それでいいのでしょうか?」「先生方は、臨床、研究、教育とこなしている中で、仮にこの機械で日常業務の3割の時間を捻出できれば、ゆっくり休む、指導にさらに専念するなど、より有益に時間を使えるはずです。」
結果として多くは賛同してくれました。賛同してくれた人は日常診療の後、毎日のように深夜遅くまで議論を交わしながらこの開発に関わってくれました。
ただ、システムが完成するまでは大変な道のりでした。初号機完成には3年かかりましたし、最終的な完成には6年かかりました。抜け洩れなく、見落としが論理的に起きない仕組みを作り上げる必要があったからです。
当時、なかなか理解されませんでしたが、私がこだわったのは臨床医の「確率論的知識」ではなく、尊敬する臨床医達が行う、臓器から細胞レベル、遺伝子レベルにおいて生じる原因と病態を認識した「絶対値」の意思決定でした。そこで私は、患者に表出される事象、つまり症状や身体所見、検査値などの全ての事象を、因果関係として紐づけた、「患者の状態定義」を作ることから始めました。これは「絶対に起きること」なので確率ではありません。優秀な医師ほどわからないことは明確にわからないとして、その原因追及を他の視点からアプローチすることを繰り返します。特に鑑別診断というプロセスの中で、万に一つでも見落としてはならないケースを念頭に必ず考え進めていくことも重要な部分です。
その結果、医師による問診での「今日どうされましたか」への回答だけでも年齢ごとにQ&Aは変わり、その設計だけでも10の20乗以上のパターンを用意する必要がありました。さらに体の状態の定義については、独立した多次元的な問診の組み合わせと身体所見、そして診断名と検査項目が一体となった構造となっており10の56乗を超えるものになりました。
一般的にはディシジョンツリーのようなシステム設計をしがちですが、優秀な臨床医はそのような意思決定ではなく、複数のベン図のように重複が合っても見逃さず、医学的に絶対とされる根拠を持って判断をすることに着目して、システム設計をしました。パターン認識とも確率論ともディシジョンツリーとも異なるやり方は、設計作業を担当する医師たちに理解してもらうのに時間はかかりましたが、結果としては誰もが最も納得のいく、臨床医の暗黙知とも言える医師決定ロジックになったと感じています。
咳一つを取っても様々な咳があります。痰がらみの咳や乾燥した咳、むせたような咳。しかしながら最も重要なのは、年齢によってかかり得る病気に差があることと年齢による解剖学的な差によっても症状の出方は変わりますし、年齢に伴う生体反応の違いによっても出方が変わります。すなわち3歳の子どもがする咳と、20歳の人がする咳と、90歳がする咳とでは、解剖学的にも病態的にも起こりえる病気が全く異なります。また、その症状も時間によって変化します。これをひとまとめにしてはいけません。例えば、3歳の子どもには成人が煩う肺がんはありません。そのため患者の年齢が認識されるのは勿論のこと、何十とある咳の種類が区別された上でコンピュータにインプットされないと、正しい診断がなされません。この視点に立ち、あらゆるパターンを想定したシステムを構築するためには、一つ一つを因数分解して、年齢ごとに、定量、定性、時間と言った独立した変数を持った構造的なデータセットを設計する必要がありましたので、膨大な作業を要しました。
(鈴木)
診療支援システムでは、患者が自分で入力した症状に関する情報をもとに、アルゴリズムによって、病名が割り出されるのでしょうか。
(矢作教授)
厳密に言えばアルゴリズムとはやや異なるのですが、そのように見える動きをするシステムと言えます。現在のコンピュータは、0と1から成る世界で、そこには「Yes」か「No」しかなく、さらにコンピュータ処理の世界では時間という概念や連続の概念が反映されません。しかし現実世界では「今はYesだけど、時間が経つとNo」ということが当然あります。にもかかわらず、コンピュータに入力する際はどちらかに決めないと読み込んでくれません。医師が診断をする際は、まず患者の現在の症状を把握し、次にその症状の過去と現在の変化の度合いを把握します。コンピュータの弱点はそこで、時間の経過とともに答えが変わる状況を理解させるのが難しいことです(できないわけではない)。
患者の特性、症状の経緯、今の症状、それらの情報を、老若男女どのような患者さんが入力しても正確に状態を把握した結果を導き出すシステムは、2004年に稼働し、2005年に当時勤務していた横浜市立市民病院で実装しました。具体的に説明すると、患者さんには機械の画面を見ながら選択式で自分の状態・症状を入力してもらいます。選択式であるのには理由があり、それは患者自身が気付かない症状や状態変化が存在するためです。特に慌ててくる患者さんは、自分の身体の中でも目立つ症状に注意が行きがちです。患者さんにあらゆる症状を把握してもらうことで、実は重要な、小さなシグナルに気づくことができます。患者さんの認識よりも幅広く拾い上げられるような「選択式」にすることで見落としがないように設計しました。対人間の問診の場合、一部の医療従事者からはopen ended questionを求められることが多いのですが、対人間でのやりとりと、対画面でのやりとりとでは、患者は異なる回答をすることを考慮しての判断でした。
患者が入力を終えると、医師の方にあるパソコンの画面には、診察すべき項目、必要な検査、必要な処置の情報が表示されます。あとは診察した医師が一部を修正し確認ボタンを押すだけです。その後は検査オーダーや処方オーダーが自動的に出されます。このシステムは診断後に必要な治療、検査、処方まで院内オーダーとして出すことができたので、「自動問診システム」を超えたものとして「診療支援システム」と呼んでいました。
(鈴木)
実際に病院で利用されてどのような成果が出ましたか?
(矢作先生)
医師の負担軽減はもちろんのこと、とりわけ「重症化リスクのある患者の早期発見」において、このシステムは力を発揮しました。医師の診察を待つ間、患者もしくはスタッフがこのシステムに基本情報や症状を入力することで、医師でなくも重症化予測を確認できるようになりました。それにより待合室での患者さんの重症化を未然に防ぐことができました。その成果は小児救急医学会で評価されることになりましたが、医師会や理解のない先輩方や年配の看護師からは大変な批判をいただきました。チームで話し合い「時期尚早」という結論に至り、2008年頃に診療支援システムとしての提供を全てやめました。ただ、すでに導入し、稼働していた病院の中にはその後も長く稼働しているものもあり、最終的に何十万人もの患者データが蓄積され、システムの可能性を分析した、病院経営の効率化、見逃し防止、オーダーミス防止、カルテの品質向上・記録時間の大幅削減、待ち時間の激減等は海外で高く評価されることになりました。高度に構造化されたデータはAIとの相性も良く、現在は、その診断精度をAIとの組み合わせでさらに引き上げることに成功しており、今後、次世代の若手にバトンタッチしていこうと考えています。
2005年頃、慶應の小児科の教授に、診療支援システムの有効性とその構造化データの重要性について話しました。「これからの研究活動には、臨床医の優れた日常診療の技術を技術化して事業化することが世界の潮流になっていく。『日常診療を技術化する』というのは暗黙知を可視化するということで、この技術化にあたりITの親和性は極めて高く、臨床医の意思決定を支援するソフトウェアと医薬品や医療機器とが連動する時代になる。また、事業化することによって得られた利益を全て研究費として再投資するエコシステムを作れば、科研費などに頼る必要もなくなっていく」と。
その教授に先見の明はあったものの、周辺スタッフたちからは嘲笑と罵声を浴びせられ「先生、サイエンスをやりなさい。臨床研究はサイエンスじゃないんだよ。大学病院にそのようなものは必要ない。」「創薬とかデバイスは企業だけがやればいい。事業化は金儲けだろ。大学にマネジメントなんていらないんだよ。」などと言われ、それを恩師に報告し相談したところ「そのようなところに未来はないから外に出なさい」という一言で、信濃町を離れることを決意しました。
医薬品開発の潮流やグローバル戦略も踏まえながら、病院・医学部としての戦略を立てるべきにもかかわらず、当時の慶應病院にはその視点を理解している人は極めて少なかったと言えます。その後TRや臨床研究や創薬のフィールドにおいて、一部の着実に力を付けて来た科以外、組織としての慶應が大きく後れを取ったのは言うまでもありません。今後、差になってくるのは、その判断を出来る成熟した人材がどれだけ育っているかどうかでしょう。
医師の脳内の技術化
(鈴木)
矢作先生は、この診療支援システムの登場により、それまでの医療に何がもたらされたと考えていらっしゃいますか。
(矢作教授)
臨床医として、「患者と臨床現場が今必要とする情報が何か」を考えた際に必要とされる機能を作り出したと言うことになるのかもしれません。
私たちが設計した診療支援システムのコア技術には、人間が生まれてから死ぬまでの身体の変化の状態の定義を作り、ある年齢である病気になったら、身体の状態がどう変化していくかのデータセットがあります。言い換えれば、臨床医が脳内で患者の状態をどう把握し、解剖学、病態生理学、診断名など、それぞれにおけるどの知識と結びつけているのかをもとに、患者の状態定義を記した辞書のようなものです。これはまさに医師の脳内で行われる意思決定プロセスをシステムとして技術化したものでした。
各医療機関に存在する、統合性のない、しかもどう使えるかもわからない電子カルテ上の全医療情報を一か所に集めたとしても現場では役に立ちません。「電子カルテは宝の宝庫」と言われることがありますが、実際は、「データとして分析できる状態にない」、もしくは「分析するに値しない」データで多数が占められています。それは、日本の電子カルテの情報がテキストで構成されており、言葉の定義もばらつきがあることに加え、一部の薬剤、検査、処方、レセプト病名等は、標準化されたコードはあるものの、ほとんど整備されていない状態にあるからです。
私たちが作った診療支援システムは、辞書としての機能を果たしただけでなく、このシステムを導入した医療機関の患者データが、結果としてデータ分析にそのまま使えたということも非常に大きなインパクトがありました。既に述べたように2008年以降、私はこのプロジェクトから手を引きましたが、この技術は今も様々な場所で活用されているはずです。医療DXの流れが来ている中、診療支援システムに使われたコア技術の数々は今後さらに展開していく時代になると思います。
(聞き手・文章 鈴木薫)
矢作尚久Profile
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 教授 / 慶應義塾大学環境情報学部 教授
1974年米国パロアルト生まれ。
慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了、小児科専門医、指導医。
横浜市民病院、国立成育医療研究センターを経て2017年より慶應義塾大学准教授、2022年より現職。
東京大学医療経営人材育成講座修了(首席)後、ハーバードビジネ
全国の医療情報を統合可能とする世界初のClinical Data Management Networkを設計、稼働。
一貫して病態変化予測に基づく自動