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【イベントレポート①】第4回医療と健康のDXセミナー「AI前提の健康・医療」

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当日のプログラムについてはこちら

主催:慶應義塾大学サイバー文明研究センターCCRC
慶應義塾大学サイバー文明研究センターCCRC メディカルインクルージョン WG
SFC研究所価値社会プラットフォームラボ
WIDEプロジェクト

<開催概要>
日時:2025年3月18日(火) 13:00~18:50
場所:慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール

イントロダクション

イントロダクション
佐野仁美 慶應義塾大学政策・メディア研究科研究員/CCRCメディカルインクルージョンメンバー

本セミナーの冒頭に、開催の背景と主催機関である「サイバー文明研究センター(CCRC)」についてご紹介いたします。CCRCは、インターネットの基盤を築いた世界的研究者であるデイビッド・ファーバー教授と村井純教授が共同センター長を務め、デジタル技術がもたらす社会構造の変化を新しいサイバー文明として捉え、デジタル技術と社会の調和を目指す研究を行っています。インターネットの普及とさらにAIの進化により世界が大きく変化し、まさに私たちは現在、新たな文明の移行期に立ち、デジタル技術が人間の生に深く関わる段階に入ってきました。特に医療と健康は、こうしたサイバー文明の成熟に不可欠な大きな柱であり、単なる技術の導入ではなく、人間社会全体を見据えた再設計が求められています。
CCRCのこうした文明的視点の背景には、慶應義塾の創設者・福澤諭吉の文明論があります。福澤は情報の流通や民情の変化に注目し、日本の近代化の原動力としての情報の力を見抜いていたと考えることができます。さらに、民情が一新される際の、人々の感情の大きな揺れを「狼狽」と指摘するなど、現代のAIやインターネットがもたらす社会変動も、福澤の議論と深く通じるものがあります。

このセミナーシリーズは、世の中の医療と健康のDXに対する人々の認識が大きく変化したコロナ禍をきっかけに始まり、今回で第4回を迎えました。これまでに40名を超える専門家が登壇し、その内容はレポートや書籍として公開しており、医療DXの実践知を広く共有することで、今後のデジタル文明の設計に資することを目的としています。本日も皆さまと議論を共有し対話を通じて、新たな文明の可能性を探求していければと願っております。

開会キーノートセッション

「慶應義塾からの挨拶」
天谷雅行, 慶應義塾常任理事(研究担当)

慶應義塾大学サイバー文明研究センターCCRCは、2018年の設立以来、デジタル技術がもたらす社会変革を研究し、その知見を広く社会に還元することを使命としています。
CCRCの新たな研究拠点として、CCRCプロジェクトルーム羽田キャンパスが開設され、2025年3月8日に開所式がありました。羽田という立地からも、アジア太平洋地域との協力を深めながら、国際的な視点から、新しいデジタル社会のあり方を模索し、政策提言や技術開発に貢献することを目指す上で最適な拠点になると確信しています。ファーバー教授と村井教授を共同センター長としてCCRCはさらに発展していくことは間違いないと思っております。
また、3月16日には歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏が慶應義塾大学を来塾され、この北間ホールで伊藤塾長との対談と学生からの質疑応答が行われました。 ハラリ氏の最新刊『ネクサス』では、現在の社会が非常に不透明な中、どうして今のような状態になっているのかを、非常にシャープな言葉で伝えています。その中でも、1点だけ本セミナーに関わる点として、歴史の中で情報がどう変わってきたかという観点をお話しします。
大学や教育機関の役割は、長い間「情報を集めること」だったと言われています。その1つが図書館などで、情報を集め、そこに人が学びに来て智を生み出すという役割を果たしていたと思います。しかし、今や情報を集めるという大学の役割は薄れつつあり、逆に情報が氾濫している時代に突入しました。
そして、その氾濫する膨大な情報の中に「真実」と「フィクション」が混在しています。「真実」は複雑でわかりにくく「フィクション」は簡単でわかりやすいという現実に直面しています。さらに「真実」は痛みを伴うが「フィクション」は心地よい。「真実」を伝えるには、コストが掛かる。一方で「フィクション」は1人の頭の中で簡単に作成でき、コストもかからない。そのため「フィクション」は圧倒的に拡散しやすい状況にあります。そして、この「フィクション」を拡散するのは人間ではなく、AIによるアルゴリズムであるという事実があります。このアルゴリズムが非常に速いスピードで発展しており、その人類への影響を予測することは非常に難しい状況です。こうした状況の中でも重要なのは、人間同士の信頼関係(トラスト)だと、ハラリ氏は私たち学生にメッセージとして伝えていました。
これはまさに本セミナーのテーマである、健康と医療のDX(デジタルトランスフォーメーション)にも深く関わる視点だと感じました。AIをはじめとするデジタル技術が医療の現場を大きく変えつつある中、私たちは常に正確な情報を求め、誤った情報の見極めが求められています。診断の迅速化や医療システムの効率化が進む一方で、AIが生成する医療情報やアルゴリズムの公平性、さらには誤った情報が医療現場や個人の健康管理に与える影響についても慎重に議論する必要があると思います。本日のシンポジウムが、より良い医療と健康の未来につながる一歩となることを願いまして、開会の挨拶とさせていただきます。

「主催者挨拶」
村井純, 慶應義塾大学教授/サイバー文明研究センター共同センター長

デジタル技術が社会にどのように貢献できるかの方法は急激に変化してきました。私達がインターネットを作って来た際、1995年に「インターネットは全ての人々のもの」というキャッチフレーズを掲げていました。当時は、全人口の1%もインターネットを使っていなかったのですから、図々しい目標だったのではないかと今は思えます。95年には既に全人類がインターネットに繋がることを方針として目指し構築していたということです。30年たった今、台数で数えれば日本では100%以上の人々が、インターネットにアクセスできる状況となっています。このような状況を前提にして、どのような社会変革が必要なのかをDXとして考え続けてきました。インターネットの環境でみんなの知恵が世界中で共有できるという夢が開発の動機です。その夢の中で、常に、医療の分野で必ずインターネットは貢献できると思い続けていたのです。一方で、やはり医療はとても慎重であるべきで、データの共有もリスクが有り社会の中での他の分野のDXのスピードからは、遅れてしまう傾向がありました。コロナ禍で、社会のデジタル技術に対する理解が進み、2年間で20年分の進展があったといわれています。医療とDXの関係の理解も特に日本では歴史的に変わったと思います。
AIが急速に広がる中、医療分野でもその影響を受け、デジタル技術の活用が進み、社会の中では「狼狽」とも言える反応も起こっています。AI技術の発展は急激であり、その技術を前提として医療現場でどう活用していくのかを考えようと、また、歴史的な変換点であることを鑑み、キーノートに尾身先生をお迎えしました。AIは医療のDXにとって非常に重要なテーマとなっており、AI技術の専門家や医療分野の専門家とともに、ネットワークとして発展させることが重要だと感じています。

特別基調講演 「公衆衛生専門家から見たAI・DXへの期待」
尾身茂, 公益財団法人結核予防会理事長

私はAIやデジタルの専門家ではありませんが、我々専門家がコロナ対策において、その時、現場でどのように感じていたのかをお伝えし、最後に私の提言や今後の医療DXへの期待をお話します。
そもそも日本では、過去にも新型インフルエンザへの対応などで、医療のデジタル化に対する強いレコメンデーションがあったのにも関わらず、ほとんど実行されてきませんでした。結果として、2020年1月時点で、日本と韓国のコロナ対策の本部の準備体制には大きな差が開いていました。私が関わってきた中で最も大きなフラストレーションは「情報がない」ということでした。情報が我々専門家のところに届かないのです。しかし、政府は我々に対してどんな対策を取ればよいか、という助言を求めました。情報は極めて限られている中で、国が求める対策について提言をしなくてはならないという強いジレンマがありました。
各国のパンデミックの対応戦略について、例えば、北欧スウェーデンなどの国は合理的に「感染を抑えるなんてことはできない」とし、中国は「感染をゼロにしよう」とロックダウンを続けました。一方、日本は、北欧と中国とも違い、また、その中間のアプローチを取ろうという考えもなく、独自の方針を取りました。
最も大事なことは死亡者を減らし、医療の逼迫をなるべく避けることにありました。経済との両立は非常に重要ですが、そもそも本当に医療の崩壊が起きたら、経済対策と感染症対策の両立も不可能です。したがって我々は死亡者をゼロにするということは考えず、死亡者は出るし、感染者も出るが、医療の逼迫、崩壊だけは避けたいという哲学で感染対策を進めました。
そして、実際に日本は世界的に見て死亡者は少なかったのです。欧米では、初年度からすでに死亡者が多く、実際に、イギリスではかなりの人口が初年度に感染し、多くの死亡者が出て、医療崩壊に近いことが起きました。日本では、3年目に死亡者が増えています。年を追うごとに高齢者が感染し、体力が落ちることによって亡くなるケースが増えたからです。
日本の感染対策の特徴として、医療の逼迫が起きそうになると強い対策を取った点が挙げられます。例えば、第一波の時点では死亡者が少ないにもかかわらず、2020年4月7日には第一回目の緊急事態宣言を出したのです。その理由は、極めて限られた病院で対応しており、そこの医療が逼迫し、医療崩壊が起きることを防ぐ必要があったからです。そして、感染者数が減少し、医療逼迫も軽減されると、強い対策を解除し、また感染が拡大する。こうした強い対策と、それを緩めることを繰り返したことが、日本の特徴です。これを我々はハンマー・アンド・ダンスと呼んでいます。
では、これだけ死亡率を抑えた日本は諸外国に比べてGDPへの影響がどうだったかについてですが、日本はずっとロックダウンを続けていたわけではなく、ハンマー・アンド・ダンスのアプローチを繰り返していたため、GDPへのネガティブな影響は、3年間を平均すると欧米並みの水準にとどまりました。
また、情報・デジタルの効果により人々の行動変容が見られたのは重要です。緊急事態宣言が出る前から、すでに多くの人々が自発的にマスクを着用していました。新聞やインターネットでの死亡者数や医療逼迫情報が流れるといった情報効果により、緊急事態宣言などの国による介入効果が出る前から人々の自主的な協力が始まっていたのです。
情報効果は高齢者に効果的で、若い人々はあまり効果的ではなかったという傾向が見られます。高齢者は病気に対する重症化リスクを意識して協力した一方、若い人々は自分には関係ないと思っていた可能性があります。
さて、日本の医療の質は世界でトップクラスですが、それでも医療の逼迫が起きた理由は、医療システムが高齢化社会に向いてシフトしており、パンデミックを想定したものではなかったことが一因です。情報化が進んでいないことも含めて、日本の医療制度そのものに医療の逼迫を起こした問題の本質があったと思わざるを得ません。
先ほども述べたように、私の大きなフラストレーションであった「情報がない」という絶対的なデータの不足の状態が起きた決定的な要因は2つの理由があると考えています。1つは、個人情報の扱いが自治体ごとに大きく異なったことです。看護師や保健師が患者に、感染経路などを直接患者にインタビューするため、実は、かなり詳しい情報は医療の現場にはあったのです。しかし、個人情報の取り扱いが各自治体により異なり一番厳しい基準が採用され、現場にある潤沢な情報は我々専門家には、最低のレベルに少ない情報しか届かないというのが大きな課題でした。
そして、もう一つのデータの不足の原因として、医療デジタル化の遅れがあります。2020年頃の日本の対策本部の多くは、専門家やその大学院生などでした。行政の人々は、クルーズ船の対応で手一杯でした。対策現場では、ファックスから出てくる情報から表を作っていたり、時には個人的なコネクションで情報を獲得するしかないなど、21世紀では考えられないような状況でした。現場の専門家の中には、計り知れないストレスがかかっていた状況でした。
最後に、医療DXへの提言として、まず必要な疫学情報を迅速に取得する体制を整えることが重要です。そのためには、医療情報のデジタル化と日本全体としてのシステム構築が必要です。そのシステム構築には、IT専門家と公衆衛生の専門家との連携が不足しています。
インターネットは本当は横断的なシステムであるはずですが、医療は省庁ごとに分断してしまい、視点が狭くなり、他の領域との交流が働くインセンティブに欠けてしいます。これは省庁の問題だけでなく、日本全体の問題であり、民間や大学などと広く全体として最適性を見出す必要があります。このセミナーの皆様が連携し、さまざまな医療のAIやデジタル化による潜在的な課題を解決し、社会にうまく活用する知恵を、説得力のある政府への提言などに発信して頂ければと思います。

特別基調講演 「ブロックチェーンと不確実性プログラミング時代における健康と医療データのアーキテクチャ」
伊藤穰一, 学校法人千葉工業大学学長

「不確実性プログラミング (Probabilistic Programming)」は日本語では「確率系プログラミング」と訳されることが多いですが、厳密には「確率」に限らず、不確実な情報をモデル化し、その情報をもとに判断を行うプログラミング手法を指し、現在のAIではあまり得意とされていない分野でもあります。
不確実性プログラミングは、1990年代にはAI研究において主流の手法の一つでした。しかし、こうした統計を含む不確実性を扱うプログラム言語は、数学的な難しさや、手作業による取り扱いの難しさから、スケーラビリティにも課題がありました。
2013年頃から、ニューラルネットワークが注目を集めるようになり、1990年代に不確実性プログラミングに取り組んでいた研究者の多くが、2010年以降、ニューラルネットワークへとシフトしていきました。
ニューラルネットワークには「neural(神経の)」という言葉が含まれていますが、実際の脳の動作とは大きく異なります。むしろ、不確実性プログラミングの方が、脳の認知メカニズムに近いと考えられ、不確実性プログラミングは再び注目を集めつつあります。
人間の推論の仕組みは、単純なロジックではなく、確率的な推定によって成り立ち、私たちはある思考に関して確率モデルを更新し続けています。医師の診断も同様で、患者の症状や背景情報から病気の確率を推定し、新たな情報が加わるたびにその確率を組み合わせながら更新しており、医療の診断には「ベイズ的(Bayesian)」な推論が必要で、1つ新しい情報が入れば確率が変わってしまいます。現在のニューラルネットワークではそれは実現が難しいものです。どういう情報がいつ意味を持つのか、構造化されたモデリングが必要であり、今のニューラルネットワークでは対応できません。ニューラルネットワークは、確かに翻訳など特定の用途では非常に有効で、何に使うか分からないジェネラルなインテリジェンスに向いていると言えます。何をしたいか分かっていて、目的が明確な場合は不確実性プログラミングの方が適しており、数学的な確率モデルとプログラミング言語を統合することで、より柔軟な推論が可能になります。
また、人間の認知は「モジュール的(modular)」であり、個々の概念を組み合わせることで新しい状況に対応できます。確実性プログラミングはモジュラーな設計なので、人間の認知の仕組みに近い認識を再現することで、医療などの分野にも大きな影響を与えられる可能性があります。いろいろな情報を知って、その組み合わせで理解することは、統計学的に理解することと全く違うため、非常に効率よく、オブジェクトの検出や、裏にいろいろな構造があるデータ解析、データモデリングに応用できます。
ニューラルネットワークでは、大量のデータがなければパターンを識別することは困難ですが、人間や不確実性プログラミングは、少ないデータからでも徐々にモデルを構築し、データの量が増えるほどモデルの精度が向上していきます。つまり、ニューラルネットワークと比較すると、はるかに少ないデータと低スペックのCPUで動作可能です。人間の脳は、消費電力が電球1個分程度にもかかわらず、高度な思考能力を持っています。これは、脳がより構造化された学習プロセスを採用しているためであり、ニューラルネットワークよりも効率的に機能していると言えます。
不確実性プログラミングでは、複雑なモデルであっても、人間がソースコードを見て、医師が「異常が発生している」、「この変化はこういう理由だ」と判断することができます。以前、エキスパートシステムがありましたが、論理的処理が難しく、重くなりがちでしたが、不確実性プログラミングの活用は、複雑で不確実な情報を扱えるエキスパートシステムのように捉えることができると思います。
「大規模言語モデル(LLM)」という言葉が広く使われていますが、私は人口や人間のモデルを構築すべきではないかと考えており「大規模人口モデル(Large Population Model)」という言葉を作りました。LLMと不確実性プログラミングを組み合わせることで、様々な可能性が広がるのです。例えば、LLMを用いてテキストデータを構造化し、それをいろいろなデータベースを集めたものと統合することで、一つの大きな、Large Population Modelを構築できます。このPopulation Modelは、多様な人間の特性を表す複雑な基礎モデルです。
統計モデルにバイアスが生じる場合でも、不確実性プログラミングを活用すれば、あらゆるデータを統合し、限られたデータから仮説を立て、推測することが可能です。個々のデータベースにはそれぞれバイアスが存在しますが、それらを統合することで、バイアスを抑えたモデルを構築することが可能になります。この手法では、「合成データ(synthetic data)」を用います。データが不足している領域に対し、モデルを活用してデータを生成し、それを用いて新たなモデルの学習を行います。例えば、特定の臨床試験では対象となる人口が少ない場合がありますが、統計的手法を用いて欠けているデータを補完することで、統計的に見ることができます。
また、特定地域において特定の疾患データが不足している場合も、合成データを活用することで、限られたサンプルサイズでも高い精度の予測が可能になります。このように、合成データの活用には、特定の地域の特定の人々の情報を集めずに済む点でも、プライバシー保護の観点からの利点があります。個人情報を含むデータを直接収集できない場合でも、合成データを利用することで、プライバシーを省きながら分析が可能になります。
不確実性プログラミングは、構造化された情報を扱うため、個人情報の管理が大きく変わる可能性があります。電子カルテや個人情報保護法の制約のもと、データの取り扱いには慎重さが求められますが、LLMでは中身が分からないため個人情報のコントロールが難しく、そもそも個人情報を学習させない方向になります。
しかし、不確実性プログラミングでは、合成データを活用しながらも、特定の属性間の関連性を細かく制御しつつ、個人情報の利用を可能にすることができます。例えば、年齢と給与の関連付けを分断することで、特定の個人情報が推測されるリスクを抑えるなどが可能になります。
このような仕組みにより、データ利用のルールを地域ごとに柔軟に設定し、コミュニティの価値観に合わせたデータ活用が実現できます。現在の個人情報保護法では、「このデータは利用してはならない」といった制限が主ですが、数学的に特定の情報が抽出されないことを保証できる技術を活用すれば、様々なデータを含めた上で、特定の情報を取得できないようにするといった新しい枠組みを構築することが可能です。これにより、個人情報を守りながら、複数の病院のデータを統合し、日本国内だけでなく、国際的なデータ利活用の促進につなげることができるでしょう。
医療AIの現場への応用は、医療データの収集やモデル構築の段階で現場のニーズとの乖離を解決しなければなりません。医療機関内に技術者を配置し、エンジニアと医療従事者が協力する必要があります。しかし、日本では分野の縦割りが問題となり、医療と工学の分野が分離されており、両者の協力が進みにくい状況にあります。日本は色んな意味でAIにふさわしい国民性を持っているのに活用できていません。今後、医療分野におけるAIの実用化を推進するためには、学術界と実務の架け橋となる仕組みを構築し、技術と医療の融合を促進することが重要です。

セッション1:健康医療のためのAIテクノロジー

「AIx医療の展望:最適化と個別化に向けて」
鈴木蘭美, ARC Therapies株式会社代表取締役CEO

私は長年、若い頃、がんの完治を目指すことを決意し、長年、創薬に携わってまいりましたが、10数年前、必要とされる情報が不足しすぎており、このままの延長線上ではがんの完治は難しいのではないかという不安を抱くようになりました。
患者ごとに最適な治療を見出すためには、健康情報の有効活用が不可欠であるとの結論に至り、産官学のコンソーシアムを立ち上げ、当時の安倍総理大臣に建白書を提出しております。
現在の臨床の場ではエビデンスの欠落が大きな課題となっており、ある薬が本当に効果を発揮しているのかどうかを判断することが難しい状況です。この課題を解決するためには、治療効果のエビデンスを確実に示し、効果が認められない場合は治療を中止し、効果がある場合は継続するという仕組みを確立する必要があります。
さらに、患者の多様なプロファイルデータと組み合わせることで、治療の有効性を可視化することが可能になります。このアプローチを発展させることで、治療開始前の段階でもデータに基づいて最適な治療薬を選択できるようになり、それによって医療費の削減にもつながると考えております。
ARC Therapiesは、国立がん研究センター発のベンチャー企業として免疫・遺伝子・代謝の3要素を統合的に捉え、がんの完治を目指しております。
弊社におけるAIの活用としては、まず、免疫・遺伝子・代謝の各データを網羅的にAIで解析し、その上で、主に二つの取り組みを進めております。
第一に、弊社が開発を進める細胞療法「CAR-T(カーティ)療法」において、T細胞がどのがん細胞を標的とするかを決定する際に、生成AIを活用して最適な設計を行うことです。 第二に、固形がんの治療に関する課題の克服のため、T細胞の代謝を強化し、機能低下を防ぐ技術を開発しております。
CAR-T療法は、特定の患者には極めて高い治療効果を示し、がんの完治に至る可能性のある画期的な治療法ですが、一方で費用が非常に高額であるという課題があります。現在の治療費は4,000万~5,000万円にのぼります。このコストを抑えつつ、臨床現場での実用性を高めることも、弊社が取り組む重要なテーマです。このため、患者さんの血液採取からT細胞の改変、そして体内への再投与に至るプロセス全体をデジタル化し、品質管理を一元的に行うシステムを開発しています。これにより、各大学病院やがんセンターで効率的に治療を提供できるようにすることを目指しております。

「デジタル社会基盤としてのAIに向けて」
浅井大史, 株式会社Preferred Networksシニアリサーチャー・インフラ戦略担当VP(オンライン)

従来、現実世界とデジタル空間の間には大きなギャップがありましたが、弊社のAIを活用することで、映像データから3D構造をデジタル化し、それを再び映像として表現できるようになっています。私たちはこれを「4Dスキャン」と呼んでいます。法律上、ドローンは線路の上を飛ばせないのですが、生成AIを活用することで、デジタル空間上で再現し、映像を生成することが可能になります。
また、AIは産業分野でも幅広く活用されています。例えば、数百年かかるようなシミュレーションもわずか35分で処理できるようになりました。
最近では「基盤モデル」の活用も注目されています。LLMをはじめとした基盤モデルを応用することで、言語モデルだけでなく、映像に関しても現実の空間に近づけることができます。これまでのプログラミングはデジタルの専門家しか扱えないものでしたが、今では、科学分野など別の専門知識を持つ方でも、大規模言語モデル(LLM)を活用しながらAIの支援を受けて計算やプログラミングを行うことが可能になっています。
また「エージェントモデル」と呼ばれる技術も注目されています。これは、個人に特化したプロフェッショナルなAIをパーソナライズして活用するもので、特に医療データのような機密情報を扱う際には、データを外部に出さず、エージェント内部で処理を完結させることが可能になります。今後、個人情報の取り扱いの面でも、このようなエージェント型のAIが重要な役割を果たすのではないかと考えています。
さらに、私が関わっているアカデミックな活動の一環として村井先生の立ち上げられたWIDEプロジェクトでは、2023年には「Hinotori」を活用した遠隔手術の実験を支援しました。この実験では、シンガポールにコックピットを設置し、名古屋に手術ロボットを配置することで、遠隔手術の遅延の影響を評価する実験をしました。ロボットを通じた手術では、これまでアナログであった手術室内のあらゆるデジタルデータが生成されます。AIがこのような場面で活躍する可能性として、ロボットアシストや診断の精度向上が期待されます。
AIは急速に進化し、多くの分野で活用が広がっています。特に、デジタル空間と現実空間をつなぐ役割が大きく、デジタルの計算結果を現実空間や自然言語でわかりやすく提示する技術などが今後も発展していくと考えています。

「日本語版医療用LLMが拓く、AI利活用の未来」
田中邦裕, さくらインターネット代表取締役社長

私は29年前、学生の頃にさくらインターネットを創業しました。さくらインターネットでは、サーバーや計算機資源の提供を行ってきましたが、その一環として大量のGPUを整備し、現在、独自の医療向けLLMを開発するプロジェクトに取り組んでいます。
日本国内で計算資源を大規模に整備する必要があるという国の方針を受けて、昨年から「クラウドプログラム」という施策のもと、大量のGPUを導入しています。現時点で約3000〜4000基弱のH100を北海道のデータセンターに配置しています。
当初、政府のクラウド事業(ガバメントクラウド)では、国内事業者の参入が少ないことには課題を感じていますが、現時点では弊社が唯一取り組んでいる状況です。
私は計算基盤の整備を自分たちで行うことの重要性を感じながら事業を続けてきました。最初はすべて自分で構築し、NSPやIXに接続し、BGPの運用も自ら行いました。サーバーの開発や、最近では仮想化クラウド基盤の開発なども自社で行っています。GPUそのものは作れませんが、GPUを活用したクラウドホスティングのソフトウェアも自社開発しています。
日本は技術を使うだけではなく「開発できる国」になることが重要です。技術大国である日本は、単にデジタルやAIを活用するだけでなく、それを産業として発展させることが極めて重要なのです。現在、日本のデジタル貿易赤字は6.3兆円に達しています。デジタル技術を使うほど、海外に依存し、赤字が拡大するという構造になっているのです。DXによって国内の生産性は向上するかもしれませんが、それだけでは不十分で、デジタルやAI産業そのものでも稼げる国にならなければなりません。日本が6.3兆円のデジタル貿易赤字を、労働集約型の観光で取り戻している現状は、日本人の給与が上がらない要因にもなってしまっています。
したがって、SIP(戦略的イノベーション創造プログラム)の統合型ヘルスケアシステムの構築において、医療LLMの開発を弊社が受託することになりましたが、大切なのは、単なるコスト削減や業務改善だけにAIを応用するのではなく、新しい価値を創造することが重要だと考えています。
例えば、私は現在、沖縄に住んでいますが、東京と比べると医療水準に差があることを実感しています。離島では、ドクターヘリで搬送しても間に合わず、亡くなってしまうケースも少なくありません。これは、単にお金で解決できる問題ではなく、テクノロジーによる解決が必要です。ロボット医療などを活用し、遠隔地でも都市部と同じ医療を受けられるようにすることもAIを用いて社会実装することが求められています。
また、医療においては「予防から治療へ」のサイクルをどう繋げていくかが課題です。その中で、カルテ情報や膨大な医療の知見を活用し、医師が適切な判断を下せるよう支援するシステムの構築が重要です。これは国レベルで開発する必要があります。
現在、標準的なLLMの多くはWeb上の情報をもとに作られています。Webはリンクをすることによって多くの情報が1つになっていく偉大な発明であって、まさにthe Internet、1つしかないインターネットの上に、1つしかない情報グラフを構築したわけです。しかし、医療の情報はWebにはほとんど存在せず、Webでは検索できません。Webでは検索できないものが、パブリックなLLMの次にやってくるものであると考えています。そのため、クローズドな環境で蓄積されている医療データを活用し、LLMを構築することには大きな意義があります。その一環として、私たちは、電子カルテの情報を基に、多くの関係者と協力しながら、大規模言語モデル(LLM)の構築を進めるプロジェクトを推進しています。その過程で、医療ビッグデータ解析とも連携し、過去の知見や豊富な情報を活用することで、医師がより正確で深い診断を行えるよう支援することを目指しています。
汎用的なAIモデルは、すでに日常生活にも活用されていますが、医療分野での応用には特有の課題があります。特に、医療データはWebには情報がなく、機密性が極めて高く、クローズドな環境での取り扱いが求められます。医療分野でのLLM活用には、従来のものとは異なる背景や要件が存在します。しかし、この技術を活用することで、より質の高い医療の提供が可能となるだけでなく、計算基盤が強くなれば創薬や新たな医療技術の開発にもつながると考えています。従来、研究開発は実験室で行われるのが一般的でしたが、今後は計算機上での研究開発が加速すると期待されています。
産業の中核は、かつては鉄や石油でしたが、現在では半導体や計算資源へと移行しています。特に計算資源に関しては、米国が圧倒的な優位性を持っていますが、日本も世界第2位の計算能力を確保しつつあります。かつては中国が強みを持っていましたが、最新のGPU導入においては、日本が優位な立場に立つケースも出てきています。
このような環境のもと、計算資源、技術的知見、研究開発を活用し、国民の健康と安全を支えることは、国の競争力向上や新たな輸出産業を創出する可能性も秘めています。

「AI前提の健康・医療」時代における非中央集権型 PHRアーキテクチャ実証事例」
石田宏樹, フリービット株式会社代表取締役社長CEO兼CTO

フリービットのCEO兼チーフアーキテクトを務めております、石田と申します。私はもともと村井研究会に所属しておりまして、この医療と健康のDXセミナーの第2回目から関わらせていただいておりますが、そこからスタートしたプロジェクトの成果についてお話させていただきます。つまり、このセミナーを通じて生まれた考え方が、実際に形になったということです。
本日のセミナー内容の構成も非常にうまくできていると感じています。先ほど田中様がご報告された、高いコンピューティング能力を活用したデータセンター運営と、私たちのプロジェクトは真逆の立ち位置にあり、私たちは、小さなコンピューターを集めて、非中央集権型のPHRアーキテクチャを構成しています。PHR(パーソナル・ヘルス・レコード)というパーソナルデータとつなぐことで、個人情報問題や患者中心の医療にどう貢献していけるかという研究を、藤田医科大学との共同で進めています。
フリービットは、インターネットそのものの通信インフラ技術に近い部分の開発を行ってきました。コンピューターサイエンスやネットワークアーキテクチャの分野では「集中と分散」を繰り返す流れがあります。もともとインターネットは分散型ネットワークでしたが、速度や同期、リーチャビリティの問題などにより、中央集権型のインフラが登場しました。その結果、個人情報の管理の仕方などに関する、プラットフォーマー的な新たな課題も生じています。それをどのように解決していくかも含め、最近はWeb3という言葉でまとめられていますが、非中央集権型のインターネットアーキテクチャをどのように構築するかを、一貫して考えてきた会社です。Web3の概念が登場し、中央集権型のWeb2とWeb3の丁寧な橋渡しが求められる中で、私たちはWeb3に特化した非中央集権型アーキテクチャの開発に取り組んでいます。
私たちはスマートフォンを重要なコンピューター資源と捉えており、スマートフォン自体を作りながら、AI自体をセンターシステム型ではなく、どうやってスマートフォン上で動かしていくか、個人データを外部に出さずに活用するかという仕組みの実現を目指しています。
また、現在はエッジ型のLLM(大規模言語モデル)を活用し、安全性を評価するモデルの開発も進めています。従来のSNS上などのデータベース型のシステムでは、特定のキーワードにのみ反応し、全体の文脈を正しく把握することが難しいという課題がありましたが、私たちのモデルでは、会話や投稿全体の文脈を解析し、それが安全かどうかを判断する仕組みを取り入れています。
た医療データをどのように守るのか、ということにも取り組んでいます。従来の中央集権型システムでは、管理者が広範な権限を持つという問題がありましたが、スマートフォン上でコミュニティで動かすブロックチェーン技術を開発し、改ざん不可能な状態を実現する試みを進めています。承認を得たトーンモバイルのユーザーのスマートフォン上で、Ethereum互換のレイヤー1のブロックチェーンを動作させ、分散ノードの実証実験を行いました。その結果、約7000台のスマートフォン上で動くレイヤー1ブロックチェーンのノード数として世界3位の規模に達しています。
また、トーンモバイルのユーザー向けに「予防」、「健康相談サービス」、「経過観察」を含む3段階のサポートを提供してきました。これらのユーザーインターフェースには、エッジ型LLMを活用し、またデータ保護の観点からエッジ型のブロックチェーン技術を導入しています。
この取り組みは、日本政府が推進する「Trusted Web」の構想とも共通点が多く、私たちは実装手段としてWeb3技術を活用し、医療分野における「Trusted Web」を医療においてはどのように推進できるのかということを、藤田医科大学と共同で進めています。
藤田医科大学では「FR-Hub」というシステムを運用しています。これは、異なるEHR(電子カルテシステム)などのデータを標準化データに変換し、PHRや地域連携に送り込んで連携することができるという優れたシステムです。この「FR-Hub」を活用し「Trusted Web」の仕組みを利用して、リアルワールドデータを患者のPHRの中に、直接格納するという仕組みを構築しています。患者自身の実際の検査データや処方データは、病院のシステムではなく、患者のPHRに直接保存され、管理、活用できるようになるため、それをいつでも見ることができたり、例えば近隣のクリニックを受診する際にもスムーズに情報共有することが可能になります。このアプリ自体がノードとして機能するため、大規模な中央管理型のシステムを必要とせず、患者自身がデータの所有者として、様々な場所で許可を与えることで、医療機関などと連携ができる仕組みになっています。これにより、患者を中心とした新しい医療インフラの構築に貢献できればと考えています。

セッション2:大学・病院・研究機関からの講演「医療健康データから見たAI」

「個人情報保護、医療、AI――憲法の視点から」
山本龍彦, 慶應義塾大学大学院法務研究科教授


私は、憲法の中でもプライバシーやテクノロジーと人権・民主主義の関係について研究しています。本日は、医療情報の保護に関するこれまでの流れを簡単に振り返り、憲法の視点から医療AIに関する論点についてお話します。
政府の2024年の骨太の方針においても、医療データの活用やDX(デジタルトランスフォーメーション)が重要視され、特に、医療データの活用を促進し、医療のイノベーションを進めるための全国医療情報プラットフォームの構築や、AIホスピタルの社会実装といった目標が掲げられています。
こうした流れを受け、医療情報の活用を支える法律として「次世代医療基盤法」があります。この法律も改正を重ね、より使いやすくなってきていますが、医療関係者の皆様からすると、まだ課題も多いと感じられるかもしれません。もともと、医療個人情報は個人情報保護法の中で「要配慮個人情報」として扱われてきたところがあり、一般的な個人情報よりも厳格な取り扱いが求められています。その一方で、医療データの活用は社会的にも大きな意義を持っており、保護と積極的な活用のバランスを取ることが求められています。
こうしたジレンマに対応するために、次世代医療基盤法は、個人を特定できない形でデータを活用する枠組みを整えました。ただ、匿名化を徹底しすぎると、医療・医学研究の価値が損なわれる可能性があるという指摘もありました。また、手続きの煩雑さが障壁となるという批判もあり、2024年4月に改正が行われました。今回の改正では、従来の「匿名加工」だけでなく、もう少し個人への追跡可能性を保持した「仮名加工」のデータも活用できるようになりました。特別な手続きは必要ですが、これによって、より有用な医療データの活用が進めやすくなりました。
日本ではNDB(匿名医療保険等関連情報データベース)などの公的データベースと、他の医療データの連携が制限されていました。しかし、次世代医療基盤法の改正により、データの利活用が積極的に進められるようになっています。一定の条件のもとで公的データベースとの連携も検討されており、電子カルテを活用したAIによる病態予測など、医療データの応用が広がっています。
次世代医療基盤法は進化しており、また全国医療情報プラットフォームの構築やバイオバンクの整備も進められていますが、欧米諸国と比べると、依然として研究利用のハードルは高いのが現状です。
欧州では、GDPR(一般データ保護規則)のもとで医療データが厳格に保護されており、加盟国ごとのルールの違いが統一的なデータ活用を妨げていました。しかし、コロナのパンデミックにより、医療データの利活用の必要性が明らかになり、新たにEHS(欧州医療健康データスペース法)が導入され、国内外の医療機関がデータを共有できる仕組みが整備されています。医療機関が保有する健康・医療データは、加盟各国に設置された「ナショナルコンタクトポイント(NCP)」が窓口となり、中央プラットフォームを介して国境を越えたデータ交換を行う仕組みになっています。この仕組みは「一次利用」と「二次利用」の二つのレイヤーに分かれており、一次利用に関しては「MyHealth@EU」というシステムが運用され、二次利用に関しては「HealthData@EU」というシステムが活用されます。一次利用の具体的な内容としては、患者の診療記録、処方箋、検査結果などのデジタル化された医療データへのアクセスが可能になります。ただし、一部の例外を除き、患者本人がアクセスを拒否することも可能であり、一次利用においては患者自身のコントロールが強く認められています。一方、二次利用については、できるだけ本人の同意や関与を制限し、広く活用していく方針が示されています。二次利用に関しては、より公共的な目的が重視される傾向にあります。
私自身、データの世界は大きく二つに分けられるのではないかと考えています。一つは「個人の世界(個人界)」もう一つは「集合の世界(集合界)」です。もちろん、この二つが混ざり合うこともありますが、基本的には区別して考えることができるのではないかと思います。個人に直接影響を与える情報の処理、たとえばダイレクトマーケティングやターゲティング広告などでは、利用者のパーソナルデータや行動履歴が使われます。こうしたデータは、個人に直接影響を与えるものであり、個人の管理やコントロールが重要になると考えます。医療の領域では、特にPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)などの考え方が大切で、誰とどの情報を共有するかを個人が主体的に決められる仕組みが求められます。一方、二次利用のように、研究などを目的としてデータを活用する場合、個人に直接影響を及ぼすわけではなく、集合データとして扱われることが一般的です。これらは集合界に属するものと考えるべきでしょう。このように、個人界のデータと集合界のデータとを適切に区別することが重要ですが、日本ではこの二つの領域が曖昧なまま議論されることが多いように感じています。
他の論点についても触れたいと思います。ある自動運転のポリシーでは、事故の責任を人間に転嫁するため、事故が発生する直前、約1秒前にAIから人間へハンドルの操作が引き渡される仕組みがあります。しかし、事故の1秒前にハンドルを渡されたとしても、人間が即座に適切な対応を取ることは非常に困難です。そのため、人間が意思決定のプロセスに組み込まれているものの、実際には何もできない状況に陥る「ヒューマン・イン・ザ・ループ(Human in the Loop)」という議論があります。このような状態の人間は「責任スポンジ」とも呼ばれ、実際の操作はAIが行っているにもかかわらず、事故の責任だけをスポンジのように吸収し、最終的に責任を負わされる構造になってしまうのです。
また、「モラル・クランプル・ゾーン」という概念もあります。通常のバンパーは衝撃を吸収して人間を守る役割を果たしますが、将来的には、逆に人間がバンパーのように扱われ、最終的に人間に責任を押し付けられ、AIを守るような構造になるのではないか、という議論です。
こうした議論は、医療の現場にも関連しています。AIが医療に関与する際に、医師の役割をどこまでAIに任せるのか、また、AIと医師の間でどのように責任を分担するのか、といった問題が生じるからです。医師が「責任スポンジ」として、何もできないのにただ責任を追わされるだけの存在であるべきではないでしょう。AIの判断を医師がどのように監督し、どの段階で介入すべきか、そのインターフェースの設計が非常に重要です。

「生成AI時代の医療DX」
森川富昭, 藤田医科大学学長補佐、リアルワールドデータ研究・開発講座教授

現在、病院の現場では生成AIを活用したさまざまな取り組みが行われています。本日は、その実践事例についてご報告いたします。
医療の現場には、医療従事者や技術者など、さまざまな専門分野の方々が関わっています。医療情報を扱う私たちの役割は、これらの領域をつなぎ、より良いサービスを提供することです。しかし、医療情報システムには、データの共有が難しい、セキュリティの問題で外部に出せない、標準化が進んでいない、といった課題があります。藤田医科大学では、こうした課題を解決するために、社会実装を意識した取り組みを進めています。
コストを抑えつつ、メーカーだけに依存せず医師の働き方なども考慮し、医療経営を意識しながら効率化を図ることも重要なポイントです。
医療の現場では驚くほどFAXが使われています。本来、電子カルテは大学病院をはじめ多くの医療機関で導入されていますが、一度紙に出力して患者さんに渡し、移動してもらうケースがまだまだあります。これは非常にもったいないことで、本来はデジタルからデジタルへとデータをやり取りする仕組みを整えていくべきです。
標準化されたデータについてですが、大学病院のシステム全体を完全に標準化するのは現実的に難しく膨大な時間がかかってしまいます。そのため、必要なデータのみを標準化し、データを適切に取り出す仕組みを作ることが重要です。私たちは「FR-Hub」を活用し、データ連携の基盤を構築しています。例えば、先ほどのFreebit様やさくらインターネット様のご講演の中にあったように、PHR(Personal Health Record)やSIPの実証でもFR-Hubを通じてデータを連携しています。これにより、電子カルテの共有サービスにも活用できる仕組みが整いつつあります。こうした取り組みは、アカデミアが中心となって社会実装を進めないと、コストが膨らんでしまうという課題もあります。
私たちの藤田医科大学には4つの病院があり、それぞれの病院だけでも185のシステムが稼働しています。羽田にも施設がありますが、羽田を含めると200以上のシステムが存在します。
医療のITシステムは、もともと診療報酬請求(レセプト)を発行するオーダリングシステムから発展し、その後、診察記録を記入する電子カルテが導入されました。その周りに、検査や処方などの部門システムが存在し、それらが連携して動いています。このようなシステムの中で生成AIを活用するためには、医療データの構造を整理する必要があります。
理想的には構造化されたすべてのデータが標準化され、クラウド上でも展開しやすい形になることが望ましいです。しかし、現実には2年ごとの診療報酬改定などの影響で、病院ごとにメーカーと独自のデータ管理が行われ、システムがガラパゴス化しているのが現状です。そのため、私たちの持っているデータを別の病院にそのまま適用するのは難しい状況であり、今後の課題となっています。
デジタルデータの連携についてですが、名古屋地域で実証を行っています。1月末には、電子カルテからFR-Hubを通じてデータを電子カルテ共有サービスに送る仕組みが整いました。具体的には「3文書6情報」という形で、紹介状や退院サマリーなどのデータを連携できるようになっています。電子カルテ共有サービスについて、1月末から私たち藤田医科大学病院のデータが、国の電子カルテ共有サービスに組み込まれるようになりました。これにより、例えば災害時などにデータを活用できるようになるため、非常に有益な取り組みだと考えています。
この取り組みのポイントは、病院情報システムとFR-Hubという標準化されたデータをつなぐ基盤を、藤田医科大学独自で構築したことです。通常、電子カルテ(EHR)やパーソナルヘルスレコード(PHR)向けのシステムはメーカーごとに異なる設計がされるため、統一されていないとコストがかかりすぎます。例えば、電子処方箋の導入には病院1つにつき約900万円かかり、4病院で導入すると合計3600万円になります。国の補助があっても、負担が大きいのが現状です。しかし、FR-Hubを活用することで、こうしたコストを大幅に削減できる仕組みになっています。生成AIに通じるにしても、このFR-Hubを利用しております。
また、地域医療連携の面でも、これまで関連病院との紹介状のやり取りに月7000枚のFAXを使っていましたが、現在では450枚程度にまで削減されました。これは単なるコスト削減だけでなく、医療従事者の働き方改革にもつながっています。さらに、FR-Hubを活用することで、電子カルテ共有サービスとの連携もスムーズに進められています。病院間のデータ連携がデジタル化されることで、業務の効率化が図られることが期待されます。
生成AIの活用についても触れておきます。現在、退院サマリー(患者の入院から退院までの経過をまとめた文書)の作成に生成AIを導入し、入院のある33診療科のうち31診療科で運用を開始しました。これにより、従来15分ほどかかっていた退院サマリーの作成が、医師が最終確認するだけで済むようになりました。この仕組みは、FR-Hubを通じて電子カルテと連携することで実現しています。AIが作成したサマリーと、医師のサマリーを比較し、医師の評価を加えながらレビューを行っており、生成AIの活用をさらに進めるために、プロンプト(AIへの指示)の改善にも取り組んでいます。
AIが日々の診療記録や看護師の記録、手術記録を解析してサマリーを作成する仕組みも整備しました。さらに、さまざまなLLM(大規模言語モデル)を活用し、ChatGPTやGeminiなどを組み合わせて、英語や中国語への翻訳機能も実装済みです。
遠隔手術の分野でも、村井先生の力を借りながらAIを活用した実証実験を進めています。
例えば、手術中にAIが画像解析を行い「青色の部分は切除可能」、「緑色の部分は自律神経があるため切除不可」といった情報をリアルタイムで提供する技術が開発されています。
今後も、生成AIとデータ連携を活用し、医療のDXをさらに推進していきたいと考えています。

「医療におけるDXの現状」
橋本正弘, 慶應義塾大学医学部専任講師

私は放射線科、つまり画像診断を専門にしている医師です。放射線科の分野では、DXが比較的早い段階から進んでいました。
CTというのは「コンピューター断層撮影(Computed Tomography)」の略で、コンピューターを使って計算しながら断層画像を撮影する技術です。つまり、CTは開発当初からデジタル技術を活用していた、ということになります。病院で扱う画像は、現在ほとんどがデジタル化されています。放射線科の医師は、病院全体のデジタル化を推進する立場にあることも多く、その関係で今日は私がこの場でお話をさせていただくことになりました。
深層学習は、特に画像分野でブレイクスルーを起こした技術であり、放射線科の分野では真っ先に取り入れられました。日本で最初に販売された画像診断用のAI製品は、頭部MRIの画像から「脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)」を検出するソフトウェアでした。また、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の診断補助を目的としたAI製品では、COVID-19肺炎の疑いがある領域を画像上で強調表示しその割合を分析してくれます。
ほかにも、AIの活用方法として画像の画質を向上させる技術があります。MRIの撮影では、撮影時間が短いほど画質が悪くなるというトレードオフの関係がありますが、AIの補正技術を活用することで、短時間で高画質な画像を取得できるようになってきています。昔のCT画像の補正にもAIが使われています。ただし、この補正画像は診断には使えないという規制があるため、現場での活用は限定的です。
私が最も実用的だと感じているのが「肺結節の検出AI」です。CT画像から肺にできた結節(小さな腫瘍や異常な影)を自動的に探し出し「ここに結節があります」と提示してくれるシステムです。しかし、このシステムは、思ったほど医師に活用されていないことが分かりました。なぜ活用が進まなかったのかアンケート結果を分析すると、特に経験豊富な専門医ほどAIが不要なものまで拾ってしまうので、むしろ手間が増えると感じる傾向がありました。
何が要因かというと、CTの読影(画像診断)は、肺結節を探すことだけが目的ではありません。そのため、AIが肺結節を見つけてくれるというメリットよりも、余計なものまで拾われて再評価が必要になるというデメリットが上回ってしまい、結果としてAIを積極的に使う人が限られてしまったのです。
また、私たちの病院でも大規模言語モデル(LLM)を活用できないか、試行を進めています。個人情報の取り扱いについても、厚生労働省・経済産業省・総務省がガイドラインを出しており、その基準を満たした上で利用を進めています。
電子カルテには「AIサマリー作成」ボタンを設置し、ボタンを押すとChatGPTが診療記録を要約する仕組みを導入しました。興味深いのは、診療科ごと、さらにはチームや個人ごとに「最適なプロンプト(指示文)」が異なることが分かったことです。そのため、各自がプロンプトをカスタマイズできるようにしています。
ただし、現在の大規模言語モデルには「ハルシネーション」という課題があり、慎重に運用する必要があります。今後は、この課題をどのように克服していくかが重要になります。ただ、この間違いをゼロにするのは非常に難しく、サマリー作成にAIを使うのはなかなか難しいというのが実感です。
一方で、AIを画像診断の分野で医療安全に活用できないかと考え、試験的に導入している取り組みがあります。特に救急外来では、CT検査を行った後に放射線科の医師が読影をする前に、患者さんが診療を終えて帰ってしまうことがあります。主治医が放射線科の医師の診断を見ないまま患者さんを帰してしまうことで、診断の遅れにつながることがあるのです。こうした事故を防ぐために、ChatGPTに放射線科のレポートと、その前後に記載されたカルテを読ませ、「CT画像に重要な所見があるが、主治医が気づいていない場合に警告を出す」というプロンプトを試しています。これは見逃されると危ないと判断されたケースがあれば、警告画面を表示し、救急科のセーフティマネージャーに通知が届く仕組みになっています。
現在、救急外来の先生方と協力しながら、プロンプトの調整を続けています。ただ、残念ながらハルシネーションは完全には防げません。それでも、医療安全の分野では必ず最終的に人間がチェックを行うため、このような使い方であれば比較的安心して運用できるのではないかと考えています。
これまでのディープラーニングは、画質の向上や病変の検出などに活用されてきましたが、大規模言語モデルが登場したことで、診療記録のサマリー作成など、より文章を扱う分野にも応用されるようになっています。また、ChatGPTは「医学的に重要なこと」と「患者さんにとって重要なこと」を区別できないことがあります。例えば、患者さんにとっては重要な出来事がしっかり記載されている一方で、医学的に大事な情報が抜け落ちてしまう、といったことが起こります。このあたりの優先度の調整は、現在のモデルではまだ限界があると感じています。そのため、今後は先ほどご講演にあったさくらインターネット様のような医療専用の大規模言語モデルを活用することが、より精度の高いサマリー作成や診療支援につながるのではないかと考えています。

「パーソナルAIによるパーソナルデータの分散的活用と価値の最大化」
橋田浩一, 理化学研究所 革新知能統合研究センター グループディレクター

本日は、パーソナルAIについてご紹介いたします。まず、パーソナルデータ(PD)の分散管理をベースに、パーソナルAIが動きます。分散管理というのは、個人のデータをその人自身が管理する仕組みのことです。データを個人ごとにまとめることで便利になりますが、多くの個人のデータを一箇所で集中管理してしまうと、不正使用などのリスクが高まります。だからこそ、個人ごとに分散管理したほうが安全だという考え方です。
集中管理だと、大量のデータが一気に流出するリスクがありますが、分散管理ならそういった危険を避けられます。また、データを個人の手元に置くことで、プライバシーを守りながら活用できるというメリットもあります。ただし、防災、教育、公共衛生、治安維持など、社会全体の最適化が必要な場合は、ある程度の集中管理が必要になるケースもあります。しかし、ほとんどのサービスでは分散管理のほうがパーソナルデータを活かしやすく付加価値も大きいです。
パーソナルAIとは、個人専属のAIがユーザーと会話をしながら、その人のニーズを理解し、最適なサービスを探して実行するというものです。技術的にはすでに可能になっていて、これが実現すると、いろんなアプリやウェブサイトを使わなくても、自分に合ったサービスを簡単に受けられるようになります。これによって、デジタルデバイドも解消されます。
さらに、PDS(パーソナルデータストア)を活用すれば、過去のサービス利用データを保存して、別のサービスに応用することも可能になります。これにより、サービスの精度が上がり、より使いやすくなります。10年も経てば、このような状況になるのは当然と考えられます。
これは非常に便利で、最終的にはあらゆる仲介業務を自動化することになります。仲介業務には、小売や卸売なども含まれます。例えば確定申告を自動で行ってくれたり、出張申請を簡単に済ませてくれたりと、多くの業務を代行できます。また、個人の生活をより健康的で勤勉なものにするようにナッジをかけて行動変容をサポートすることも可能です。
現在、すでに「パーソナルAI」と呼べるようなものが登場しており、その一例が中国のアリババが提供する「アリペイ」です。これは基本的に中国国内向けのアプリですが、2024年10月頃からAIの対話機能が導入されました。例えば、「明日、北京の南駅から天津駅まで行きたい」と言うと、適切な交通手段を提示し、予約まで完了してくれるという仕組みです。このサービスはアリババのプラットフォーム内で閉じており、オープンな仕組みではありません。また、やり取りするデータはすべてアリババに送られるため、プライバシーの面で懸念を抱く人もいるかもしれません。
そこで、より開かれた仕組みを作ることを考えています。特に自治体の行政サービスから導入を進めるのが良いのではないかと考えています。基礎自治体には数百種類の行政サービスがありますが、多くの住民はその内容を十分に把握しておらず、適切な情報を得る手段も限られています。さらに探し当てたとしても、手続きが大変な場合が多く、それを自動化することを目指します。この仕組みの背景には、PDS(パーソナルデータストア)があります。アプリ内に個人のさまざまな取引データが蓄積されており、自分自身の情報をしっかり持つことができます。そのデータによって申請書のフォームが自動的に埋められるので、手間が省けます。しかも、申請書を作成する段階までは、個人情報は外部に送られず、提出時にのみ送信されるため、プライバシーも守られます。
さらに、特定の支援を必要とする人への情報提供も可能です。たとえば、自閉症の子どもを育てる親向けの相談サービスを提供するNPOが市役所から自閉症の子どもがいる家庭のリストを入手することはできません。しかし、個人が「自閉症の子どもがいる」という情報をPDSに持っていれば、それに合った支援情報をパーソナルAIにより受け取ることができます。しかも、これらの処理はすべて個人の端末内で完結するため、サーバーなしでアプリだけで安全に運用できます。
この仕組みは、行政サービスにとどまらず、民間のサービスにも活用でき、幅広い普及が想定できます。たとえば、スーパーやレストランの会員カードやクーポン、ポイントを一つのアプリに統合できれば、日常的に利用する機会も増えてきています。特に、地域のお店と連携すれば、市民の多くが自然とこのアプリを使うようになるでしょう。事業者にとっても、クーポンの利用状況やポイントの更新データを活用できるため、マーケティングに役立ちます。現在、この仕組みの実証実験をしており、将来的には全国展開を目指しています。
また、パーソナルデータが手元にあれば、入力の手間を省くことができます。それから、この部分をクリックすると市役所のウェブサイトに飛ぶのではなく、申請書のフォームが直接表示されて、必要な情報を少し追加するだけでオンライン申請ができるようになります。
普及のポイントとしては、「デジタルデバイドの解消」と「事業者の協力」が重要です。また、こうしたシステムを運用するうえでのリスク管理も欠かせません。そのためには、適切な法制度の整備が必要になります。私たちは法律を作る立場ではありませんが、ちょうど良いタイミングで国際的な標準化の動きに関わる機会を得ています。
私は、AIシステムの入出力ログを蓄積し、システムの管理や運用の再利用に向けた標準化にも関わっています。ヨーロッパでは、GDPR(一般データ保護規則)と欧州データ法(Data Act)により、個人が自分のデータを管理しやすくする仕組みが整っています。これを活用すれば、一次利用、二次利用共に、パーソナルAIがユーザーのデータを適切に管理し、有効に利用できるようになります。パーソナルAIがサービスの仲介をすることで、オンラインでの不正な行動操作を防ぐことができます。サービスの仲介には「検索・マッチング」と「手続きの実行」の2つの段階があります。検索・マッチングが多くの商品・サービスに及べば、ターゲティング広告は不要になります。ターゲティング広告がなくなると、それに注意を引くためのフェイクニュースやエコーチェンバー(情報の偏り)が商業的に意味を持たなくなります。つまり、現在のSNSのビジネスモデルが崩れることになります。
また、手続きの実行段階で、ユーザーインターフェースをサービス提供者ではなくパーソナルAIが担うようになれば、サービス提供者が仕掛ける「ダークパターン」(ユーザーを不本意な行動へ誘導するデザイン)が無効になります。その結果、フェイクニュース、エコーチェンバー、ダークパターンといったオンライン上の行動操作がなくなり、「アテンションエコノミー」や「サベイランスキャピタリズム(監視資本主義)」といった現在のインターネットビジネスの問題点が解消される可能性があります。
こうしたパーソナルAIの仕組みをうまく活用すれば、医療やヘルスケアの分野にも応用できます。パーソナルAIが、運動・食事・サプリメント・薬・治療法・適切な医療機関の選択などをアドバイスすることも可能です。PDS(パーソナルデータストア)に生活習慣や健康データが統合されていれば、個人が一次利用として自分の健康管理に活用できます。また、適切に匿名化したうえで研究機関や製薬会社、データ・システム提供者などが二次利用することも考えられます。さらに、多くの個人のAIシステムからデータを集約し、分析結果をデータユーザー(研究機関など)に提供するような仕組みを作れば、より効率的な医療データの活用が可能になるでしょう。これを「分散型バイオバンク」と呼ぶこともできるかもしれません。

セッション3:産業界からの講演「AIで変革する医療健康システム

「生成AI時代の治療アプリ」
鈴木晋, 株式会社Cure App開発統括取締役/医師

本日お話しするのは「デジタルセラピューティクス」日本語で言うと「治療アプリ」についてです。
デジタルセラピューティクス、つまり治療アプリは「DTx」と略されることもあります。DTxは「SaMD(Software as a Medical Device)」つまりソフトウェア医療機器の一種です。これは国が「治療効果がある」と承認したもので、医療機器として認められたソフトウェアです。 治療アプリは、薬と同じように臨床試験を行い、治療効果が証明されたものだけが薬事承認を受け、保険適用の対象となり、市場に流通することができます。これまでのヘルスケアアプリとは異なり、誰でも自由にダウンロードして使うのではなく、医師が患者さんにアプリを「処方」する形で提供されます。つまり、病院で診察を受けた際に「この病気にはこのアプリを使いましょう」と医師が処方する仕組みになっています。 このように、医師の処方を通じて患者さんと連携するのが特徴です。患者さんがアプリに入力したデータは、医師が診察時に参照することができ、より適切な治療につなげることができます、これらがDTxの概要です。
私たちの会社「キュア・アップ」は、日本国内で承認されている5つのDTxのうち、3つを開発しています。具体的には、QupApp SC(ニコチン依存症治療アプリ)、QupApp HT(高血圧治療アプリ)QupApp AUD(アルコール依存症治療アプリ ※仮名称)の3つです。特にQureApp SCは、2020年に承認されました。CureApp HTは2022年に販売され、現在3500以上の医療機関で導入されています。また、日本では最近、AD小児向けのADHDの治療用ゲームアプリや、不眠症の治療アプリも承認されており、DTxの活用が広がっています。
今日お話ししたいのは、より発展的な「生成タスクの活用」です。これまでの活用例は、要約や分類のように比較的応用域を確保しやすい分野でした。PMDA(医療機器の承認機関)とも相談しながら開発を進め、医療機器が不適切な発言をしないよう慎重に調整しなければなりません。その結果、要約やOCRのような機能は認められやすいのです。しかし、生成AIを活用すれば、さらに治療の可能性を広げられるはずです。
例えば、パーソナルヘルスコーチのような役割を果たすことができると考えています。人は、生物学的な特徴だけでなく、心理的・社会的な側面も持っています。つまり、その人のおかれた社会的環境によっても健康は日常的に変化します。例えば、シフトワーカーの方は夜に働き、朝に寝る生活をしている方もいるため、一般的な「朝の血圧を測りましょう」というアドバイスが適切ではない場合があります。このように、人それぞれの生活習慣に合わせた究極の個別化が求められます。従来のアルゴリズム(エキスパートシステム)では対応が難しい部分ですが、生成AIを活用することで、より柔軟に個人の状況に対応できるようになります。
また、目標達成のサポートも可能です。血圧管理では「運動」「食事」などの基本的な要素は変わりませんが、その人の状況に合わせてどのように実践するかをAIと相談しながら決めることができます。例えば、「今日は疲れたから明日にしよう」といった相談にも対応し、時には励まし、時には無理をしない選択肢を提示できるようになります。さらに、相談機能の充実も期待できます。現在の治療アプリでは、あらかじめ用意された選択肢の中から相談内容を選ぶ形式ですが、生成AIを活用すれば、個々の悩みにより柔軟に対応できる対話が可能になるはずです。
ここまでお話ししたのは、治療アプリ単体での生成AI活用についてですが、これにデバイスの技術を組み合わせることで、さらに可能性が広がると考えています。これから、そのお話をしていきます。首にかけるタイプのカメラやマイク、スピーカーがついたデバイスでは「このお肉は脂が多いから、もう少し脂の少ないものを選んだ方がいいですよ」といった衝動買いを避けるためのアドバイスをしてくれます。今まではアプリで学んで「なるほど、そうか」と理解して終わりでしたが、これはリアルタイムで一緒に買い物をするようなイメージです。「今は買わないで」「お菓子コーナーを通らないで」といったアドバイスをその場でしてくれるんです。ただ、社内でも「首輪をつけられているみたいで嫌だ」といった声もありました。でも、これは行動を変えるための “ナッジ” になると考えています。
もう一つの例が、「マスター」と話すというもの。リビングに置いてあるぬいぐるみが、「今日は1万2000歩も歩いたんですね、すごい!」と褒めてくれます。これも治療アプリの一つです。あえて、すべての食事を把握しないなど、すべての情報を取得しない設計になっています。つまり、この設計が重要である理由は「持ち歩かないデバイス」である点にあります。全ての情報を把握していると、常に監視されているような印象を与えます。一方で、先ほどのデバイスは持ち歩くタイプでしたが、今回のデバイスは持ち歩かないことにより、デバイスを使用していない時間を作り出すことであえて安心して相談できるコーチのような存在がいる環境を構築できるのではないかと考えています。こうした行動変容への活用だけでなく、たとえばパーキンソン病の進行評価にも役立てることができるでしょう。患者の歩行や手の動きを評価し、フィードバックを提供することで、より適切なケアが可能になると考えています。
最後に紹介するのは、血圧計自体が家でコーチングの役割を果たす可能性についてです。血圧計を用いて測定をしながら「今日はこんな一日だった」といった情報を入力したり、それに基づいて「食事は何を摂取しましたか?」と問いかけることで「明日はこの食品を控えたほうがよいでしょう」といったアドバイスを提供できる可能性もあります。このように対話型血圧計を医師が処方することで、よりスマートな医療体験が実現できるのではないかと考えています。
現在、規制の壁が大きく立ちはだかっています。安全性、品質、セキュリティ、プライバシーといった観点からの厳しい基準が存在しています。規制当局としっかり協議し、合意形成を図りながら進めることが不可欠です。私たちの企業もこれまでそのような取り組みを続け、デジタル治療(DTx)の分野で実現を重ねてきました。しかし、アプリの機能を単に制限することで規制をクリアするのではなく、技術によって課題を克服したいと考えています。
具体的には、次の3つの技術的アプローチを検討しています。まず、AIオーディティングといって、出力内容を別のエッジAIで監視し、安全性の問題を回避するものです。例えば、明らかに不適切な発言や高齢者に過度な運動を推奨するなど誤ったアドバイスが行われないよう監視するものです。
次に、ハイフィデリティモデルと言ってハルシネーション(誤情報生成)を防ぐ仕組みです。最近では、NotebookLMのようなツールが登場し、出力内容に対して根拠を付与する「グラウンディング」が可能になってきています。これにより、生成される情報の正確性が向上することになります。
最後に、エッジデバイスAIです。デバイス上で処理を完結させることで、プライバシーの問題を解決するというものです。データをクラウドに送信せず、個人の端末内で分析・処理を行うことで、安全な環境を提供することができます。
まとめになりますが、現在、治療アプリはすでに生成AIを活用しています。ただし、主に要約タスクや分類タスクといった、出力の制御がしやすい領域に限られています。しかし、今後は生成タスクを活用し、より個々の患者に最適化した介入を実現していきたいと考えています。また、センサーやアクチュエーターとの連携によって、より高度なUXを提供していきます。さらに、規制の壁を乗り越えるため、品質や安全性、セキュリティの課題を技術的に解決し、当局と協議しながら推進していきます。

「医師-患者間の分かり合えなさに取り組むAIとデジタルバイオマーカーの取り組み」
湊和修, 株式会社テックドクター代表取締役CEO 

私たちは、慶應発のベンチャー企業で、デジタルバイオマーカーの開発に取り組んでいます。診断が難しい疾患に対して、デジタルデータを活用し、診断をより容易にすることを目指しています。
私たちはウェアラブルデバイスや日々のデータを用いて、疾患の状態を可視化し、デジタルバイオマーカーとして活用する研究を行っています。これにより、治療アプリや創薬の分野でもAIの可能性を広げることができると考えています。
デジタルバイオマーカーの研究は、海外でも広がりを見せています。創業当初は「おもちゃのような技術」と言われることもありましたが、現在ではウェアラブルデバイスの精度も向上し、例えば研究上では、感染症の評価にも活用できるようになっています。
医療現場では、多くの医師が1日に約80人の患者を診察しており、一人当たりの診察時間はわずか数分という状況です。しかし、ウェアラブルデバイスを活用すれば、24時間365日のデータを取得し、これまで診察室で得られなかった情報を活用できるようになります。これにより、医師と患者の関係のあり方も変わっていくかもしれません。診察室の中だけでは分からなかった病状を知ることができ、患者が自宅にいながら病状の変化を把握できるようになるなど、医療の新たな可能性が広がっています。
私たちは、精神科の研究チームから生まれた企業であり、精神疾患の診断・治療支援に特に注力しています。精神疾患は50種類以上の診断名がありますが、同じ診断名でも患者ごとに状態は異なります。その個人ごとの変化を的確に捉えるために、デジタルバイオマーカーを活用することが有効だと考えています。
この技術を活用することで、医師が1日に診察できる患者の数を超えて、より多くの方の状態を把握し、診断支援を行うことが可能になります。データに基づく疾患管理をアプリを経由して行うことによって、診断をAIに委ねるのではなく、医師が患者の目の前にいなくとも、医師の判断を支えるという形で、より高い医療を提供することが私たちの目標です。
未来の医療においては、医師ごとに自身のデジタルバイオマーカーを活用し、自身の診断ノウハウをデジタル化することで、医師のクローンのようなものを活用できるようになり、より多くの患者に最適な診療を届けることができるかもしれません。

「医師-患者間の分かり合えなさに取り組むAIとデジタルバイオマーカーの取り組み」
泉啓介, 同取締役代表医師, 慶應義塾大学医学部/東京医療センターリウマチ・膠原病内科

現在、私は医学部(信濃町)や東京医療センターのリウマチ・膠原病内科に所属しております。
まず、関節リウマチは関節の炎症により、痛みや腫れが生じ、放置すると変形につながることもあります。日本には約70~100万人の患者さんがいらっしゃり、女性が男性の約4倍の割合を占めています。運動の影響が大きく、患者さんから運動についての質問をよく受けます。しかし、明確にお答えするのが難しく「痛くない程度に適度に運動してください」などとアドバイスすることが多いのが現状で、個々の患者さんにあった適切な運動量の指導が難しいという課題があります。また、関節リウマチ専門医の地域偏在も課題です。
こうした課題を解決するために、関節リウマチの遠隔診療を目指したIoTデジタルデバイス活用の研究を進めてきました。具体的には、患者さんにウェアラブルデバイスとスマートフォンを貸与し、スマートフォンで症状を記録していただきました。これにより、デジタルデータと患者さんの主観的な症状との関連を分析し、将来的にデジタルデータから症状を予測できるようにすることを目指しました。
この研究では、Google Fitbitを活用し、歩数や脈拍、睡眠データを収集しました。また、私が約10年間開発してきた関節リウマチの患者報告アウトカム(PRO)/診療記録収集アプリ(きょうのカンセツ)を用い、患者さんの症状等を記録しました。さらに、小型の環境センサーを併用し、収集されたデータの関連性を分析しました。
これらの研究から、デジタルバイオマーカーの有用性について以下の点が示唆されます。
まず、患者自身が自身の状態を数値化することができるため、shared decision making(共同意思決定)の向上に寄与する可能性があります。
また、従来の診療スタイルにデジタルバイオマーカーを加えることで、これまで点のみで得られていた情報が、自宅での情報も得られることにより線として捉えることが可能となり、より効率的に疾患の状態を把握できる可能性があります。
また、製薬企業との議論の中で、日本人は痛みに対して我慢強い傾向があり、従来のアンケート調査だけでは国際比較などでは正確な評価が難しい場合があることが指摘されていました。そのため、生体情報に基づいた客観的なデジタルバイオマーカーを活用することで、こうしたアンケートの弱点を補うことができると考えられます。これにより、医師と患者間の理解の乖離を埋めることができ、より適切な治療の提供につながることが期待されます。
この「分かり合えなさ」に関連して、過去の研究では、医師と患者間で病状の認識のずれがある場合、患者の疾患の改善が遅れ、関節破壊に繋がる可能性が示されています。
また、日本では高齢化の進行に伴い、認知症の患者数が増加しています。OECDのデータによると、2035年には日本の人口の3分の1以上が認知症を有する可能性が指摘されています。実際に、長年診療している患者の中にも、最近認知機能が低下し、診療時のコミュニケーションが困難になるケースが増えています。このような状況においても、デジタルバイオマーカーを活用することで、医師-患者間の分かり合えなさの改善や、診療の効率化に繋がるのではと考えられます。
さらに、AIエージェントの活用についても考察しました。例えば、患者側では、ウェアラブルデバイスのデータや自身の症状を記録し、受診前に要約するAIエージェントが導入できるかもしれません。また、医師側においても、過去の診療データや専門医の診療パターンを学習したAIエージェントがサポートを行い、診療の質を向上させることが期待されます。
加えて、認知症の患者に対して、医師のアドバイスを日々サポートするコーチング機能を持たせることで、より効果的なケアが可能になると考えられます。このようなデジタルバイオマーカーとAI技術を活用した診療スタイルは、日本だけでなく、海外でも展開が可能です。
例えば、インドネシアでは人口が約3億人いるにもかかわらず、リウマチ専門医が70名程度しかいません。2018年から厚生労働省の支援を得て、当科(現 東京医療センター)の鈴木勝也先生が代表となり、当科のリウマチ専門医がインドネシアのリウマチ学会の先生方と連携し、インドネシアのリウマチ医療の質の向上を目指した事業が行われました。今後もデジタルバイオマーカーを含めたデジタル技術を活用した医療展開を進める取り組みが期待されます。
こうした取り組みを通じて、今後さらにデジタルバイオマーカーの可能性を広げ、医療の質を向上させることを目指しています。

「AI時代も楽しみながら、健康に」
瀬川翔, 株式会社ディー・エヌ・エーヘルスケア事業本部長/株式会社データホライゾン代表取締役

DeNAグループのヘルスケア事業について少しご紹介しつつ、AI時代に向けての挑戦や苦労していることについてお話しできればと思います。
横浜DeNAベイスターズは昨年、26年ぶりに日本一となりました。DeNAはもともとエンターテインメントを中心に展開してきましたが、エンターテインメントが多くの人々の熱意を生み出す力を持っており、その枠を超えて社会課題の解決にも活かしたいという思いから、ヘルスケア事業を展開しています。
具体的には、この後ご紹介するように、エンターテインメントの要素を取り入れた健康サービスを提供し、生活者の皆さまに楽しみながら健康行動を促すことで、結果として医療費の適正化を実現したいと考えています。ただ、単にサービスを提供するだけでは、医療費の適正化を含めた大きな成果にはつながりにくいのも事実です。そのため、蓄積したデータをしっかりとエビデンスとして示し、より確かな形で取り組みを進めていきます。
特徴としては、先ほどお話ししたようなDeNAのオリジナリティを活かしたエンターテインメントとDXを組み合わせた取り組みと、特に自治体向けの事業を展開しているかという点が挙げられます。日本は高齢化が進む先進国であり、多くの方が企業や協会の健康保険に加入した後、65歳・75歳を迎えると自治体の保険制度へと移行していきます。この段階での課題解決が十分に進んでいない現状を踏まえヘルスケア事業に注力しています。
エンターテインメント分野ではアプリケーションを広く提供し、多くのお客様に使っていただくことが比較的容易ですが、ヘルスケア領域では少し事情が異なります。単にアプリを配布するだけでは十分ではなく、実際に使ってもらうことが最大の課題となります。
例えば、どれだけ優れた健康アプリを開発しても、実際に使っていただくまでにはかなり積極的な普及活動が必要となります。アプリを導入いただいた自治体では、住民向けに直接対面での登録を支援するイベントを開催し、使い始めのハードルを下げる取り組みを行うなど、営業活動に力を入れています。
具体的には、長年にわたり提供してきた「kencom」というサービスでは、健康アプリの継続利用が成果につながることが明らかになっています。このような健康アプリは、ゲーミフィケーションを活用するなどの工夫により、ユーザーが継続的に利用しなければ期待する効果は得られません。例えば、日本最大級のウォーキングイベントを開催し、参加者同士のコミュニケーションを促進することなど、エンターテイメントの効果を取り入れています。
さらに、地域ごとの特性に合わせた取り組みも重要です。雪かきを健康行動として評価する仕組みを導入し、アプリ内でポイントが貯まる仕組みを取り入れ、現在では「歩く」に次いで「雪かき」が目標設定の上位に入るほど定着しています。
このように、健康増進のアプローチは地域や年齢層によって異なり、日常生活にどのように取り込むかが重要なポイントになります。そのため、現在では全国の500〜600の自治体と連携し、それぞれの地域特性に応じた支援を行っています。
また、企業の健康保険組合では受診率が8〜9割と高いのですが、市区町村が運営する国民健康保険では平均3割程度、75歳以上の後期高齢者になると受診率は10%程度にまで下がります。受診率を引き上げるためには、ローカルな視点とデジタル・AIの活用を組み合わせることが大切だと考えています。限られたリソースの中で、自治体と連携して過去のデータを活用し、どのような方が受診しやすいのかを分析することで、より効果的なアプローチを進めています。
このように、私たちは生活者の行動変容を促すことを目的とし、デジタルやAIを活用しながら、地域ごとの特性に合わせたアプローチを行っています。そして、それらをつなぐのがコミュニティの力だと思っています。健康サービスの活用を広げるのは簡単ではありませんが、リアルとデジタルを組み合わせた仕組みを作り、蓄積されたデータを活用してAIの精度を向上させることで、より効果的かつ効率的な保健事業の実施支援をはじめ、より良いヘルスケアサービスを提供できるよう取り組んでいきます。

(文:佐野仁美 写真:有馬俊)

 

→イベントレポート後半はこちら


→さらに詳しいワーキングレポート「AIを前提とした医療の創生」はこちら

 

参考資料

  • 第一回セミナーレポート

【イベントレポート】2022.7.4開催 医療と健康のDXセミナー | 慶應義塾大学サイバー文明研究センター

  • 第二回セミナーレポート

【イベントレポート①】2022.10.11開催 第2回医療と健康のDXセミナー「医療と健康に貢献するテクノロジー」

【イベントレポート②】2022.10.11開催 第2回医療と健康のDXセミナー「医療と健康に貢献するテクノロジー」

  • 第三回セミナーレポート